直感力を磨くには間違いもあり

直感力と言う言葉からイメージしていた意味は
少し、魔法のような不思議な力のイメージでした。

そのせいか
直感は、間違っていてはいけない
と言うような思い込みもありました。

でも、直感を使っても間違うこともあるし
直感を使って間違った経験が
さらに、次の直感に役立っていくことを考えると
直感力に頼って、間違えたとしても怖くない、と感じました。

この直感力を使った時に、仮に間違ったとして
それを、自分の中で認められるのかと言うことの方が
難しいような気がしました。

それを素早く訂正できるか、の判断力と行動力が
次に、必要になるだろうなぁと。

また、私の中での直感は「人」に関するものがほとんどで
「それ以外に何に使うんだ?」という感じでした。

まだないモノをイメージしたり、考えたりすることが
私の中には少なかったんだなぁと言うこともよくわかって
これからは、枠にとらわれずに自由に考えていく習慣をつけたいなぁと思っているところです。
(具体的にどうやっていくかは、まだちょっとわからないんですけれど)

初めから薄々気づいていても…

本当にそうあってほしいと強く願っている時の
藁にもすがる思いってあるな…
あったな、と思い出していました。

今、大学生の長男が小学生の頃に
中学受験をさせたくて、でも嫌がってと言う時期があって
そもそも、長男は勉強も好きではないタイプで

そういう子に、どうやったら勉強をさせられるのか…と
人を動かそうと、日々、悩んでいました。

その頃、検索していてたどり着いたのが
ダウンロードした冊子(資料)を読めば
「お子さんの態度が劇的に変わる」的な内容だったと思います。

その先生のお名前から
なんとか式や、なんとか法、とか言っていたかも知れないです。

そして、わからないことはメール相談にも乗りますとか…

どう考えても、上手い話はない、とは思って
何日か迷ったんですが、最終的にポチしてしまいました。

1万円ちょっとしたと思います。

当時は、私は働いておらず主婦でしたので
1万円と言うのは、今以上の大金でした。

結局、その資料自体は
当たり前のことを、正しく書かれていた記憶があります。

「やってしまった・・・」

と、自分でも心が痛かったです。

もちろん、夫には言えませんでした。
一度読んで、もう見たくなかったので
どこか、奥の方に閉まってそれっきりです。

本当に追い詰められて、心が弱っていたんです。

初めからほぼ、直感でわかっていたんですけどね。(涙)

無いモノを想像する力

想像力と直観力のつながりは
分かったような気がしました。
私は、リスクに対しての想像力が働くので
ある意味後ろ向きにも見えますが
確かに、いろいろな場合を想像して
物ごとを進める傾向があります。

でも、夫なんかは、そういうことにまったく目がいかず
甘いな…と思うことがよくあります。
バイクに乗る時に着る雨カッパを取られたり
置き忘れてきたりが多くて
私から見ると「想像できるんじゃない?」っていう範囲ですが
人それぞれのようです。

逆に私は、夫が雨の日に出かけたり
初めての場所に出かけると聞いただけで
今日は何かを忘れたり、乗り間違えたりするだろう…と
直観的に感じます。
だいたいは、当たりますね。(笑)

私は、人を観て直観力が働きますが
モノとモノを組み合わせる系の直観は弱いようなので
ないモノを想像する力を働かせて
直観力を強くしたいなと思いました。

だから、リスクのような
経験したことから想像できることは
まあまあ得意なんですが
ないモノを考えてみる…
それも、ぐっと考えるのではなくて
いつも頭の中にフワッともっておくようなことを
心がけたらいいのかな、なんて考えてます。

無意識の次元に・・・

無理して、生活している時には
もしも無意識が出てきても
それを、自分では認められないような
環境があると思います。

それを少しずつ、自分の中で認めていって
多数決が変わっていくのか
フタを閉めたままにしてしまうのか
分かれ目だな、と思いました。
経験があるように思います。

現状維持バイアスは
新しい職場ではよく感じます。
積み上げてきたものが正しいと思いたい
思っているので
そういったことに対する意識を変えるのは
本当に骨が折れます。
時間も必要かな、と思っています。

でも、外から来た者にとっては
感覚的に馴染みがなく、気持ちが悪い…
そういった人たちの
バイアスを取り払った、無意識の次元で
感じてもらえる方法を考えていこうかなと。

自分をごまかさないように・・・

自分にごまかしや嘘があると
直観力が鈍るというのは、とても納得できました。

そこにある現実を受け止めることから
全てが始まるんだということ。
事実をゆがみなく受け止めるのは
実は、とても難しいことですが
やっぱり、そこをクリアしないと
直観には到底たどりつかないだろうな、と思いました。

その人に入っている情報に間違いがあると
その人が、微細な変化を観察できる力を持っていても
その土台の上に立つ直観にも
間違いが出てくるというのは、残念ながら本当にそうですね。

直観力からは、少し離れますが
以前にも、お話ししていて気が合って
同じ感覚をもっていると、すごく感じる人がいても
すごく、残念なことに
私とは考え方の根本が違う人が、たまにいます。

とても、感覚的には合うんですが
根本部分で相いれない、譲れないところがあって
どちらかが、間違っている訳でもないのです。

すごく残念に感じたことがあります。

違和感はちょっとした不快?

昨日の投稿でも、直観はあるように書きましたが
ビビッ、とくるというよりも
いろんなことが複数重なって
直観を思い出す、ということもあります。
(これって直観じゃないのか…)
その時に、直観で感じているものはあるけれど
無意識下に存在している感じです。

例えて言うなら
推理小説の謎解きである
「あの時に感じていた違和感は…」みたいなもの。
これも、直観なんでしょうね。

逆に、見てすぐに、ハッとわかるものは
直観でないような気がしますが
他の人にわからないものは、直観かも知れないですね。
わからなくなってきました。

とにかく、なんやかんや言って
やっぱり、快・不快が直観のもとだと思います。
なんか嫌な感じの人、場所、モノ、服、食べ物
なんかいい感じの人、場所、モノ、服、食べ物

その違い(根拠)が何なのかは
それぞれの、経験からくるものとは思いますが
直観を大切に
何か違和感をもった時には
自分の中で、なにか無理をしているのかも知れないですね。

直感は、ノンバーバルに反応?

私は、自分の直観は頼りにしていて
人を観るところには、役立っていると思います。

ただ、若いころは
私の偏見で人のことを決めつけるのはよくない、と思って
ちょっと、ブレーキをかけていましたが
後で「やっぱりな…分かってたのに…」
と、後悔することがあって
今は、自分の直観を信じて行動しています。

合っているかどうかは、統計的な話ですが
歳をとって、経験の数が多くなると
傾向が、わかってくることもあります。

あと、声って不思議だと思います。
以前、何かのテーマの時にも投稿しましたが
初めて会った人でも、声で安心感に包まれることもありますし
逆に、プレッシャーを感じることもあります。
何がどう違うのかは、わからないですが
すごく、不思議だと思っています。
結局、直観は、ノンバーバルなところに
反応していると思っています。

だから、その人の表情や仕草が
言っている言葉と違う時には
私は、言っている言葉をあまり信用しないです。

こういうことは、子どもの頃から感じていたように思います。
そんなに複雑な環境で、育ったとは思っていないですが
子どもの頃から、大人の言うことに嘘があることに
とても違和感をもっていました。

たとえば
大人にとっては、些細なことですが
子どもは、それほど好きでないけれど
周りの人には「子ども好き」だと思われたい大人なんかは
遊んでくれても、表面的で、それを感じました。

そんな嘘(?)に、子どもの頃、納得がいかなかったんでしょうね。
その人の本心はどうなんだろう
というのを、無意識で探していたかも知れないです。

話がそれましたが、私は人への直観力はありますが
他はあまりないです。
そこを、磨いていきたいです。