未完成な自分を楽しみたい…

定年退職ではなくて
死ぬ時が人生のゴールだと
最近、イメージでき始めていたのですが

やっぱり、死ぬ直前は、どこか下り坂途中
というイメージがあって
死ぬ直前に、最も良い状態になるとは
考えたことがなかったです。

私の頭の中で、勝手に描かれていた年齢の折れ線グラフは
体力のグラフのような、ホントに勝手なイメージで
終わりに向けて、下がっていました。

でも、目標に向かっていくことはそれとは別で
死ぬ直前まで、進めていくことができるな…と感じました。

それは「〇〇になりたい」みたいな、見た目に大きな目標ではなくて
日常の生活を、豊かにするような
どう生きたいのか的な、目標になると思っています。

最終的な、私の目標って
自分を引いて見て、どう生きるか…という感じです。
(ちょっと目標ではないかも)
それが、考え方とか、意見とかに繋がってるのかなと。

そして、それが生活の中での
人との対応の仕方や、仕事の仕方に出てくると思います。

でも、これも文章化されていなくて
バクッと私の中にあるものです。
一応、フワッとある目標に向かって毎日進んでいます。

そう考えると、死ぬ直前に最も良い状態っていうのも
ありかな、と思えました。

昨日は、年末に引き続き
選択理論心理学の講義を受けました。
とても勉強になりました。

ロールプレイをして、内容を身体で体感することで
まさに、感覚刺激を受けて脳に入った感じで
自分の中に落ちた感じでした。

私は、自分の出来なさに対して
過剰に反応してしまうところが多いですが
目標に向かって歩む時に
未完成な自分を楽しむこと、とても大事だと思いました。
(実際、楽しむまでなかなか行けないですがそういう気持ちです。)

身体化された知性

ピンとくるようで、まだボヤッとしています。

これかな…と思ったこと。

子どもが大きくなってくると「わかってる」

といいう言葉を使うようになります。

でも、親が小言を言ったときに出る

「わかってる」は

親からすれば「わかってない」です。

これは身体化されていない知性なのでしょうか。

それかもっと、頭でわかっていても

例えばゴルフの理想のフォームは

イメージとして頭には入っていて、見本にしているけれど

実際、それを自分で真似することができていない…

みたいな感じなのかな。

これも、情報だけでなくいろいろ自分の身体で感じながら

身体化された知性をイメージできるのかな、と思っています。

自分の言葉で説明できないことが「わかる」ときって

頭の中だけではない、何かのきっかけがあるように思いますので。

一度認定されるとよっぽどのことがないかぎり

私の中では 
だいたい一度いいモノだと認識されたモノは 
よっぽどのことがないと 
見直されないです。 
自分の中に、そういうシステムがないです… 

だから「何となく~だな…」と思って 
「そう言えば…」と気づくこともあるし 
気づかずに何年も経つ、と言うこともあります。 

そして、たまたまの知人の話などから 
「あぁ、あれは、そういうことだったのか…」 
と答え合わせがあったりする時もありますね。 

日常生活の中で 
RCT ランダム化比較化試験(Randamized Controled Trial) 
みたいなことをすることはあります。 

何かに違和感を感じたときや 
新しいモノを使い始めた時には、なるべく 
客観的な感覚を大切にして、感じるようにしていますが 
私は自分でも、プラシーボ効果を受けやすいような気がしています。 
何でもすぐに、効果を感じてしまう。 

だから、判断がとても難しいです。 
例えば 
耳栓をして寝る方が深く眠れるか… 
夜遅くなった時には、晩ご飯を軽く(か抜く方)がよく眠れて 
結果的に疲れないのか… 

思い起こせば、もっと出てきましたが 
不健康なことばかりでした。 
しかも、自分の身体についてなので余計に 
とてもわかり難いのですね。 

しばらく使い続けてみて、心地悪くないか…が 
判断基準かなと思っています。 
だから、とてもわかり難いです。

楽しいと感じることしか身につかないから

「目標達成」と「楽しい」は

別次元の話だと思っていました。

私には「目標達成のためなら、しばらくは我慢する…」というのが

まだ染みついていますし

多少なりとも、今まで目標達成ができてきたので

逆に、アドレナリンが出て我慢できてしまう…

という感じがあります。

でも、楽しく目標達成ができるなら

それに越したことはないです。

たぶん、今まで私の目標達成と思っている対象が

試験を通過する的なイメージが強くて

それに対する知識やテクニック、戦略が

多かったからかも知れないです。

丸暗記で覚えたことや、模擬練習したことは

まったくのムダではないですが

生きた知識ではないのは確かですね。

とにかく、内容については深く考えずに割り切っています。

本当は、試験のその先にあるものが目標のはずなんですが

つい、忘れてしまっていることが多いですね…

息子たちに対しても

この辛さの先に目標が達成される…みたいな感覚を

植え付けてしまったかも知れないです。

私が言わなくても

学校や予備校でさんざん言われているんだろうとは思いますが。

自分の中のやりたいと言う気持ちを大切に

これからは、楽しんで目標達成していきたいです。

0ベースで逆算から抜け道を考える

0ベースで、何と何の組み合わせであれば達成できるのか
今の時代、本当にそこが大事だと思います。

プライベートでは
取り入れて試行錯誤していますが
職場では、なかなかできず
フラストレーションが溜まってしまいます。

制限があって、仕方がないのですが
頭から

「できるわけないやん」

と言う上司がいると
一気に気も滅入りますし
若い人の、そういう思考に蓋がされてしまいます。

私も含めてですが
50代以上の人間が、既存ありきの考え方
職場に新しいものが、本当に入らなくて
いつまでも、それまでも踏襲して
非効率的なことをしている…

自分の力の及ばないところで
とても非効率なことが
しかも、周りはそれが非効率だと気づいているのに
ごく、当たり前に行われていると
すごく残念で、悲しくなります。

組織では、50代以上が積極的に
今の時代の、新しいことを知らないといけない…といった内容を
以前、本で読みました。
本当に、そうだなと実感しています。

既存の方法を一旦忘れて、0ベースで考えられる
柔らかい頭が、歳をとるにつれて
特に必要だと思っています。

自分と同じ色のモノを集めていく

そう言えば、目標を文章化したことがなかったです。

たまに、投稿で書くことがあるので
それで事足りている感じで
それ以上、ビチッと決めていなかったですね。

ありがたいことに、折に触れて投稿することで
文章化して、自分でも認識するようなサイクルで
上手く回っていた感じです。

最近感じるのは
若い頃は、目標を考えることが
とても難しかったように思います。

「資格試験を取る」と言ったような
目先の目標は考えられましたが
その先に、それを活かしてどうしていく…
と言うことを、考えるのが難しかったです。

若い頃は、一年後に
住んでいるところがどこなのか
何の仕事をしているのか
結婚しているのか、その先子どもがいるのか…

すべてが不確定の中、いろんな可能性が広がって
その時点では、決めきれない要素がたくさんあって
それが、自分の頑張りでどうにかなることばかりでもなくて

今思えば、未知の可能性を秘めていたのですが
1年後、自分がどうなっているのかもわからない中で
私には「これ!」と決められる目標もなく

これから私は、どうなるんだろう…と
悩んでいたように覚えています。

流れに身を任せていた感じでした。
可能性はあったけれど「これ」とは決められなかった
そんな記憶です。

いろいろあって、50代になって
今まで、自分のやってきたことを振り返ってみると
一見違うように見えても、共通点や傾向があったりします。

そして、積み重なってきたものをヒントに
その先を想像できるので、目標は考えやすくなった気がします。

ちょっと、分かりにくい例えかも知れないですが

今は、自分と同系色のモノが目に入れば
「何かに役に立つだろう」と思って
積極的に集めている感じです。

だから、目標に向かって
いろんな方向から近づけているように感じています。
そもそも、目標自体の枠がゆるい感じなのですが。(^_^)