抽象度は相対的

抽象的に考えると
すごく物ごとががシンプルになって
わかりやすいと、感じています。

でも、
具体的なほうがわかりやすい
と感じる人もいます。

だから、職場などでは
折り合いを見つけて、対応していくことがいいのかな…
と思ったりしています。

結局、相対的なものなので
私より抽象度高い人(研究者のような賢い人と言われる人に多い)の話は
わかるようで、わからないことが多いです。

それでも
私は、抽象的に考える方が好きなのかもしれません。
ふと、思い出し たのですが
小学生の卒業式のことです。

卒業証書をもらった後に
将来なりたいものを発表する場面がありました。

周りの友だちは
保母さんとか、野球選手だとか…具体的な職業が多かったのですが
そこで「正しい判断のできる人になりたい」と言いました。

その頃から、抽象的な方が考えやすかったんでしょうね。(^_^)

外から俯瞰して見る

おとといの帰り道。

勤務先の近くに、駐車場があるので
駐車場までの道を、歩いていました。

細い道の住宅街で、あまり人通りもないところです。
もう、6時半くらいだったので真っ暗でした。
たまに、犬の散歩をされている方がおられるくらいです。

その道で、おばあさんらしき人が声をかけてきました。
街灯がない場所だったので、お顔が見えないまま

「〇〇駅の方って、こっちですかね?」と。

「いいえ、あっちですよ。」
と、少し明るいところまで移動して指差しました。

〇〇駅とは最寄りの駅ではなく、隣の駅でした。
(私鉄沿線なので、隣の駅は近いですが)

私も、突然のことで何のことかわからず
初めは、全体像がわからないままお話をしていました。

とりあえず、聞いていると
どうも、家に帰る道がわからなくなった…と言うおばあさんでした。

ただ、電車で出かけていたような
普段着ではない、子綺麗な格好しておられたように感じました。

そして「考え事をしていて…」「なんでわからなくなったんやろ?」
と何度もおっしゃっていました。

私は、失礼のないように
「住んでいらっしゃるおうちですか」
と尋ねると「はい」と言うことでした。

もしかしたら
娘さんのお家に来られて、帰り道がわからなくなってしまったとか
そういうイレギュラーなことかな、とも思ったのですが
そうでもないようでした。

個人情報のことも気になりましたが
とにかく、お家を探そうと住所をお聞きすると
住所をおっしゃったので
それをGoogle マップで見てみると
少し離れたマンションで確かめてもらいました。

車を使うほどでもなかったので
一緒に歩いて行こうと思って、歩いていると
大きな通りに出て

「あーここわかります。なんでわからなくなったんやろ?
ほんとに認知症みたいよね」とおっしゃって

「大丈夫です」と言うことだったので
そこで別れました。

帰宅して、その話を夫にすると
(夫は老人介護をやっています。そして私も携わっていました…)
「それは認知症の始まりかもね」と言いました。

私も、もう少し引いてみていれば
確かに認知症の始まりのように感じることができたと思えました。

そう思うと
その後、まっすぐの道だったけど、マンションまで帰れたのかなと
心配にもなりました。

私の学生時代に
徘徊がひどかった同居の祖母も、知らない土地まで歩いて行って
歩き疲れて誰かに助けてもらうことがありました。
それを思い出すと
これは、交番まで一緒に行ってもよかったのかな、とか
家族の人が、道に迷っているその状況を知らないかもしれないな…とか
いろいろ思いました。

私も初めお話しした時に、認知症という言葉はよぎりましたが
決めつけることは失礼だし
お話を聞いて、その通りに対応しましたが
失礼のないようにという思いが強く
認知症ということを、強く排除していました。

通りすがりのものとしては
今回できることをした、とは思います。

でも、初めからもう少し、全体を俯瞰して見られていたら
何か対応が変わっていたかも知れないな、と思っていました。

抽象的な内容の専門書

何年か前に、読んだ専門書は
多くの情報が、載っているけれど
あまりわかりやすいモノでなくて
初心者には、向かないと評判でした。
当時、私も同じように感じた覚えがあります。

how-to本ではなく、読み込んでいったり
掲載されている情報を、自分たちに合うように
カスタマイズしたりして、活用する…
というのが、コンセプトだということでした。

今、見返してみると
具体的な事例に、特化しすぎず
本質の部分に注目して、応用できるように
書かれていました。抽象的です。

そういう視点でみると
読者も選んではいると思いますが
一見、答えがすぐなくて、わかりづらい本って
奥深いな、と感じます。

当時、その本を読みながら
いろいろな仮説を立てたことを思い出しました。

それぞれの抽象度

ここ2年ほどで、いろいろなことが
楽になってきたな、とは感じていました。

それまでは
いろいろな面で、私は形にこだわっていて
そういうところで
具体的な、完璧を求めていたところがあったんだな
と分かりました。
完璧と、具体的ということが
はじめて、つながりました。

どこか、自分の考え方が緩くなったと
感じていましたが

その範囲内での、ここさえ押さえていれば…
と言うところが分かれば
少々の変更が、考えられるようになって
自分で塩梅を考えて、動けることが楽な気もします。

だから、周りの人にも
そういう抽象的な線引きを、伝えることもできます。

でも、これは少し危険な部分もあって
抽象度を、どう捉えるのか
人によっての違いがあるので
抽象度を上げると、内容が伝わったり
伝わっていなかったりしてしまいます。

仕事で、確実に伝わってほしいことは
やっぱり、具体的な内容を示しています。
(これは、当たり前ですかね)
少し入り込んだ話になると、抽象が出てきて
その方が、お互いに理解しやすく感じます。

仕事でも、抽象的な内容で判断してもらえる方が
自由度が高くて楽だと、私は思うのですが
これは、本当にいろいろで
具体的な指示をもらう方が楽だ、という人も多いですね。

モヤっとする抽象を表現する言葉

2年前と、比べたら
抽象思考ができるようになった…
と、昨日は書きましたが
実際、うまく言葉では表現できないけど
感じている共通点のような、概念のようなものって
まあまあ、あります。

そういう時に
そのモヤッとした概念を支えるボキャブラリーは
少し増えたかな…程度で
言えないことがありますね。

いつも見ているものや、よく知っているものについては
言語化できることが多いですが
初めて見るものに関しては
子どものように、うまく言葉がつながらない
そんな、感覚があります。

実際に、言葉を使ってみて
その時の表現は、こういう言葉を使うと
しっくりくるんだ・・・と
体感して、納得できてやっと
表現する言葉を知るという感じです。

これは、小さな子どもと
同じだな、と思います。
そして、次回
同じようなことを表現するときに
同じ言葉を思い出せばいいのですが
歳のせいか、すっかり忘れていて
また、新鮮な体験をします。
そんなことを、繰り返していますね。

抽象的な考え方で、楽になりました

2年前「抽象的な…」について考えたことを思い出しました。
とても、懐かしい感じがします。

あの頃のことを考えると
本当に、頭が柔らかくなってきたな
と感じます。

それまでは、日常生活の中で
抽象的や具体的と文字では書くことがあっても
その意味を、それこそ具体的に考えたことなんて
なかったです。

ある日突然に変わるのではなく
少しずつ、生活の中に入ってくるので
その変化には、気が付きにくいですが
今、振り返ってみると
2年前とは、明らかに思考が変わっていて

今日のサポメを読んでいて
その根元の部分では
抽象的が大きいかも…と感じました。

それまで、自分では
視野を大きく持っているつもりでしたが
どうしても、具体的な部分に目がいっていて
その仕組みのような、抽象的な部分には
目が向いていなかったように感じます。

これ一つが、理由ではないとは思いますが
何かに、思い悩むことが減ったのも
具体的なことに、目がいかなくなって
その理由を、抽象的に見られるようになったから
のように思います。

私も、まだまだですが
抽象的な視点で、物ごとを見られるようになって
目の前で起こっている、具体的な出来ごとの
優先順位が下がった気がします。
結果、なんか楽になりました。