大人になると言うことは年齢だけではない

今週、感情についていろいろ考えて 
自分の多くが、感情で動いていると 
改めて感じました。 

特に、プライベートでは 
怒りを感じて、それを相手に表現できる時には 
相手に甘えているんだな、と感じます。 
それは、どれだけ偉そうに怒りを伝えたとしても 
結局、相手に依存しているんですね… 
本当に大人になりきれていないです。 

「自分の機嫌は自分でとる」 

齋藤一人さんがよく言っていた言葉ですが 
シンプルですが、これって本当に難しい。 
これができるようになったら 
本当の意味で、大人になれるのではないかと思います。 

感情に振り回されがちな、私にとって 
感情は、淡々と物ごとをすすめようとした時に 
足を引っ張るイメージがありました。 
でも、最終的には感情を優先して選ぶ私は 
感情が邪魔して、物ごとがすんなりすすまないような 
泥臭さのようなものが好きです。 

感情に、動かされるのではなくて 
感情を感じながら、自分で調整できるようになってはじめて 
本当の意味で、大人になったと言えるのかも知れないですね。 
これは、年齢だけではないような気がしました。 

今回、嫉妬心というのを強く感じました。

今まで自分では考えてもいなかったです。

自分には認められたい気持ちがたくさんあって、人を嫉妬しているんだな、と。

あと、嫉妬心に敏感だから、嫉妬されていることにもより敏感なのかも知れないな、と思いました。 


嫉妬している気持ちは事実として受け止めて、それに振り回されず、自分の行動をどうするのか、と言うところに視点をもっていきたいと思っています。

「感情フィードバック仮説」を感じる

中学2年生の時、最愛の祖母が亡くなりました。 
その日、泣いていたのですが 
何を思ったのか、鏡の前で笑顔をつくってみました。 

悲しいんだけれど、ふっと気持ちが晴れるような 
本当に不思議な気持ちがしました。 
不思議だな、と思っていました。 

そのことは、記憶にありましたが 
「感情フィードバック仮説」だったんですね。 
なぜ、祖母が亡くなった時に 
鏡の前で笑顔をつくろう、と考えたのか覚えていないですが 
人間の脳って 
行動から感情を引き出してくる実感は、私にもあります。 
本当に不思議です。 

それなら、うつうつとした時に自分で笑顔をつくれば 
とても効果的で、きっと解消できると 
知ってはいるんだけれども 
それほどやっていない。 

知っているのと 
理解して、身体をつかって行動するのとは違っています。 
行動することって 
ちょっと、ハードルがあるんですね。 

嫉妬心

嫉妬という言葉にそれほど縁がないかな 
と思っていたのですが 
結構、私の確信かも知れないです。 
嫉妬心に揺さぶられてきたように感じました。 

今まで、嫉妬というと 
恋心からの嫉妬しかイメージしかなかったです。 

嫉妬する気持ち 
自分でもよくわからないけれど 
仕事の中でも、プライベートでも 
身近な人に対する嫉妬心、特に同性に対してあります。 

特定の人以外は 
ほぼ、まったく気にならないのですが 
私のフィルターにはまってしまう人がいて 
その人には、嫉妬心がわいていることに気づきます。 
心の底から素直に喜べないところが、嫉妬心かなと思います。 

それと今思えば、子どもの頃、嫉妬されることが 
何度かあったような気がします。 
母からもかな・・・ 
心の底にあった「女子が怖い」という思いと 
つながったような気がしました。 
今日、自分で少し納得できました。

人事を尽くして天命を待つ

今まで 
イヤなことがあったり、落ち込んだりした時には 
そのことが、いつまでも頭の中から離れないこと 
多かったです。 

その時、どう思っていたかと言うと 
「とことんまで考えれば、いつか疲れてやめるだろう…」 
と思って、いつまでも考えていて。 
確かに、邪魔くさくなって 
時間も経って、考えるのをやめたこともあります。 

イヤな感情が同じところでグルグル回って 
そのうち、だんだんと生活の中での優先順位が下がってきて 
自分でも飽きてきて、いつの間にかやめている感じでした。 

だから、特に解決策もなく50年きていました。 

でも、不快なことはできる限りのことをしたら 
後は意識的な感情から一度よけることを 
「しよう」と決めたら 
思い込みが強くて新しいモノ好きな私には 
できそうな気がしました。 

「人事を尽くして天命を待つ」 
言葉は知っていましたし、その通りだとは思っていましたが 
頭で理解しているのと、身体を伴って実行できるのとは 
本当に大きな違いがあるのだな、と感じています。 

コロナが流行ってからは、ひとつの方法で上手くいくことってまず無くなったように思います。せっかく考えていても、また状況に合わせて修正する、それも今までない状況だから、やったことのない方法で…それが2年ぐらい続いているので、デフォルトがどれかが、みんなわからなくなってきていて、ある意味新鮮かも知れないです。もし実施の日程辺りで、感染状況具合で、予定していたモノがダメでもめげずに対応する、8割主義的な考え方になっているように感じます。 

感情を言語化して整理することで

文章を書く機会をつくることになって 
本当に変わりました。 

以前より、仕事は忙しくなったけれど 
それでも、文章を毎日書きたいと思ってしまう 
自分の気持ちの本当の意味が、わかった気がしました。 

感情を書いてみて、自分で客観的に捉えている。 
自分で思っていることや考えていることを言語化して 
書いてみて、それで改めて気づく自分がいる… 
という感覚があります。 

それが頭の中でできれば 
感情マネジメントがスムーズにできるかと思いますが 
まだまだ、そこは書いてみないと気づかないですね。 
でも、書いてみることで 
自分の中のモヤモヤが、溜まっていかずに解消されて 
ある意味、ストレス解消です。嬉しいです。 
私の上質世界です。 

感情って小さい頃には、上手く伝えられないけれど 
大人になっても、逆に無意識で押さえていたり、忖度したり 
自分でも、気づかないうちにいろいろしていて 
それほど、上手く伝えられているわけでもないな…と思います。 

シンプルで簡単なようで 
自分でその意味に気づくのはとても難しいです。 

いい感情表現のモデルがいなくて…

私は子どもの頃から
感情を出さない生活をしていたように思います。
感じてはいるけれど、表現することに蓋をしている感じで
表には、出さない。

だから、大人になった今
焦っている時や、緊張している時
「全然、顔に出ないね」と言われます。

大人になって学んだことは
驚いた時や、嬉しい時には
嬉しい気持ちを表現をした方が
周りの人に喜ばれるということ。
悲しい時にも、表現してもいいこと。
怒っている時には、もともと顔に出ないので
ちょっとだけ、顔に出しながら淡々と伝える。

子どもの頃に表現することに蓋をしていたので
感情を表現することに、自分自身のハードルはありますが
外で、感情を出しすぎることはないので
周りとの人間関係は、悪くなりにくいです。

それと、子どもの頃は
感情に、蓋をしていたようなところがありましたが
感受性は豊かだったと思います。
感受性と共感性とが、少し混じった話ですが
相手も感受性が高い、とイメージしてしまって
昔から、余計な心配をしてしまうところもありますね。

そして、私には二面性があるようで
恥ずかしい話ですが
長男が小さい頃は、いろいろできない息子を見ていると
イライラする感情が、いつも爆発していました。
良い感情の出し方のモデルを
自分の中に、持ってなかったからかも知れないです。

でも、今考えると
その頃は、結婚、出産、親のこと、経済的なこと…
とにかく、本当に心の余裕がなくて

さらに子育てで
「不利な状況になるような予測」
が私の中に、あったようにも感じました。
漠然とは、感じていたけれど
自分も辛かったんだ、と改めて思いました。

今は、いろいろ解消されて
心に余裕ができたと思います。

べき論

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夫に「会わんなー」

と言われることがあります。

わが家でのあるあるは

洗い物に関しての「べき論」。

私はどっちでもいいのですが

息子が帰って来て

すぐに、お弁当箱やクラブの洗い物を出していないと

夫は嫌なんです。

怒りがわいてしまうようです。

洗い物に関しての家事分担は

特にないのですが

夫は気になって、やってしまうのですね。

なにか、夫なりの「べき論」があるんでしょうね。

それで、夫が

高校生のカバンを開けて夫が弁当やユニフォームを取り出す

私は、おかしいと思っています。

私の考えとしては

本人がある一定の時間までに出していなくて

洗えなかったら、自分で洗えばいいと思っています。

私は息子にも、そう伝えています。

それがイヤなら、自分で出すだろうし

そうでなかったら、自分で洗うだろうし。

文句言いながら、息子のカバンから、取り出すくらいなら

取り出さなければいいのに…

ルールを守る練習でもあるし、それが自己責任だと思っています。

でも、夫は見守りができないようです。

夫は、自分の感情が優先してしまうので、そうなってしまうのですが

私は毎日のように、文句を言いながら

夫が洗って完結している様子を見て

「ま、お互いそれでいいなら、いいか」

と思っています。

逆に、職場での「べき論」では

理想に対するギャップには

怒りがわいてしまいます。

私たちの年齢より、少し上の世代の人たちは

昔の世界を引きずっている人が多く

この10年だけでも、ずいぶん時代が変化して来ているのに

昔の考え方にしがみついてしまう

変わることに対して

抵抗やアレルギーがある人が多いです。

組織全体として見ていないのが、なかなかツライ。

そこでは昔の「べき論」と戦ってきました。

でも、私も50歳になると

上にいるのは、10歳上までの人だけになって

少なくなって

やりやすくはなってきましたが

次は、私たち自身がいつも

「自分が囚われているものは幻かもしれない」

という感覚を、常に持っていないと

いつの間にか

10年前の「べき論」にしがみついていた…

なんてことになりかねないので

そこは、一番、気をつけていこうと

思っているところです。

身体知性について知る NLP

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身体知性について何を優位に扱っているのかNLPではV 視覚優位、A 聴覚優位、K 触覚その他の感覚優位と分けられているそうです。

ネットで診断もできます。

私は、聴覚優位なんだと思いました。やってみて聴覚優位(51)でした。

ちなみにV 視覚(32)A 聴覚(51)K 触覚その他(24)でした。

心当たりって、ありますね。 

最近では、熟睡するための耳栓を使いますが

子育て中には 

子どもの声に、意味も無くイライラすることがあって 

つい、不機嫌になってしまうので

子どもに当たらないように 

いろいろ試行錯誤して 

聴覚過敏の人がつけるイヤーマフをつけていると 

落ち着きました。

音がトーンダウンする感じです。 

今で言う、ノイズキャンセリングですね。

あと、しんどいなと思う時には、それ自体に意味がないもの… 

歌詞のない音楽などが

うっすらとながれていると楽です。

でも、もっと溯ると 

中学生の頃からその傾向があったことに気付いて

テスト勉強は、まずは普通にしますが 

その頃(1982年頃)、カセットデッキでテープに 

自分でノート等を読み上げて、録音して聞き流していました。 

それが一番頭に入りやすかったんです。

その大元をさらに遡れば、私が考えたのではなく

小さい頃、父親が

今で言う「オーディオブック」のように 

自分で読んでいるビジネス本を

当時のテープレコーダで録音して、聴いていたのを見ていたことから

きています。

きっと父親も聴覚優位だったのだろう、と思います。

聴覚優位という言葉を、知らなくても

その人なりにいろいろ工夫して、生活していたんだと

今日は実感しました。