オンラインからのひろがり

少し前までは
意識して、テクノロジーを使うこともなかったので
テクノロジーを使ってみると
少しずつ、生活が豊かになってきたと実感できます。

ウチの家では、何年か前にテレビの調子が悪くなってから
そのままで、だんだんと誰も見なくなりました。
息子たちも大きいので
情報はそれぞれの端末からです。

テレビ世代の私にとっては、本当に嘘みたいな現実ですが
必要ないモノは、自然となくなっていくんだ…
とも実感しています。

ただ、大晦日、家族がリビングに集まった時に
「こういう時には、テレビがあった方がいいな」
と、家族の口から出ますが
それくらいで、支障はないです。

お正月には、コタツとテレビというのが
セットになっているようですね。(季節感のない話で…)

ホットクックや、アイサイトの付いた車は
とっても便利ですが、テクノロジーでの一番の恩恵は
オンラインでの、つながりです。

普段、住んでいる場所や就いている仕事からは
まず、出会う機会のない人たちと、オンラインで繋がって
気の合う友人が増えていくことが
私は、一番嬉しいです。

それと、いろんな分野の人と繋がることで
実際、分からないことがあれば、教えてもらうこともありますし
それより「困ったときには聞いてみよう」と思える人が
たくさんできたことで、心配性の私が
必要以上に、恐れることがなくなりました。

不確実性への対応力の中で
私にとっては、これが
生活が豊かになったと思える、大きな部分です。

自分の中で比較して試行錯誤する

比較していくことは、自分ひとりだと
それも感覚的なモノだと
なかなか目に見えにくくて、わかりにくく思います。

ランダム化比較試験ではないですが
生活の中で常に比較して、試行錯誤していることはあります。

夏の温度差、暑さにも弱いけれど
クーラーの冷えにも弱くて
私にとって、夏はツラい季節です。

なにか羽織ったり、カイロを貼ったりと
いろいろ試して
クーラーの中では、首を冷やさないというのが
今のところ、私の最善の方法となっています。

先日、サンダルを履くために
足首を出していたのですが
やっぱり、今の年齢の私の体調には合わないようです。

首を冷やさないのが最強と言う思い込みから
足首のことを、軽くみていました。

首、手首、足首を冷やさないと、よく聞きますが
そういったことが、本当に
そのままダイレクトに、身体にくる年齢になりました。

睡眠にしても、年々スコアが良くなってきていて
(これが、実感は薄いです…)

でも、思い返してみると
運転しながら、眠たいこともあったな…
と思い出します。

日常生活の中で、試行錯誤して
少しずつ、良くなっていることって
すぐに慣れてしまって、昔からそうだったかのように
感じています。

私はちょっと、もったいない気がしています。

一貫してコロコロ変えていく

いろんなことにチャンレンジするようになって
言うことがコロコロ変わっているように見えて
夫や息子たちは、はじめこそいろいろ言いましたが
それが、一時的なモノでないと感じてくると
今では、私が何かし始めても
ほぼ、無関心になってきました。

日常生活の中で、コロコロと変わることは
自分が心地よく過ごすための、変更で
これは一貫しています。

そのモノひとつひとつへの、私のこだわりがないので
変えるのにも、抵抗はありません。
あとは、予算との関係だけです。

自分でも、よくわかっていないのは
コロコロ変えることが、OKな部分と
そうでない部分との違いです。

当たり前ですが、特に悪くないものは
生活の中で、ずっとそのままになっていて
新しいモノを試そう、という気持ちはほとんどないです。
生活に余裕がないせいかも、知れないですが
面倒くささと、思い込みが邪魔しているところも
あるような気がします。

ポジティブ・ケイパビリティから逆へ

以前、投稿した内容は
思い通りにいかなくなると機嫌が悪くなって
ジタバタしてしまう上司の話でしたが
まさに、ポジティブ・ケイパビリティだと理解しました。

そして、それに対して逆を思っている私は
ネガティブ・ケイパビリティ的な考えをしている、と
思いました。

ただ、まだちょっと概念の理解が不確かなので
自分の理解で、合っているのかが不安です。
いろいろ考えていると、だんだんと分からなくなってきて
改めて、言語化って大切だなと。

なんで、私がこんな考え方なんだろうと思ったら
すごく身近に、ポジティブ・ケイパビリティの人がいました。
そこから、逆の影響を受けていたように思います。

うちの母親は、自分の思った通りにいかないと
機嫌がわるくなったり、人を責めたりすることが多く
「できるはず」と言って、相手に押し付けてしまいました。

若干、ズレているかも知れないですが
とりあえず、思ったことを書いてみます。

子どもの頃から
そういう(ポジティブ・ケイパビリティな)行動を見ていて
思ったことです。

理想的な答えが「それ」だとは、理解できるけれど
現状から「それ」を求めることは難しい…
そんな時に、「それ」が解決しないからと言って
その人を責めるのは、また違うよね…

結局、母も上司も
自分が問題を抱えている状態を、自分で受容できなかった。
人のせいにしたり、なかったことにして
ネガティブを解消したかったんだ、と
すごく、よくわかりました。

思えば、そういった人はネガティブなことを
なかったことにする癖があります。
でも、その時
物ごとに、向き合わずに積みあがっていく
代償は、とても大きいと思っています。

私は、それが嫌で、その逆を行っていると思っています。

だから、私はその上司の行動や対応に対して
変に反応してしまっていたんだ、と納得しました。

ジタバタしても、ほんの一瞬

今まで、私も
絶対的なモノが、あるように思いがちでした。
こんなに、不確実なモノばかりだなんて
コロナがなかったら、いつまでも気づかなかったと思います。

今回、コロナが流行って
前年度踏襲ができなくなって
ルーティーンで、仕事をしていた人にとっては
その大きな変化から
不確実な中で判断を求められました。

職種にもよりますが、もしかしたら
不確実な中での判断を
管理職は、今回初めて求められたのかも知れないです。

私は、コロナ以降の管理職なので
それが、日常になっていますが
もしかしたら、それ以前の管理職は
ある程度、確実な環境の中での
仕事が多かったのだと、思います。

今回、コロナのことは
誰にとっても、初めての出来事で
本当にジタバタしても、仕方がないのですが
傍で見ていて、上司はジタバタしているように見えました。

具体的に言うと
思い通りにいかず、機嫌が悪くて
周りの人に、当たっている感じがしました。

本当に、窮地に陥るような、困ったことがあった時に
それが、嫌なことだったとしても
(抗って収まるのなら、抗えばいいですが)
それに対して、抗っても仕方がないし
抗うのではなくて、事実を受け止めて
対応するだけ…だと思ったのですが

いざ、そんな場面に出くわした時に
人間性って出るんだな、とも感じました。

でも、人って順応性があるので
初めての時に、すごく「ドキッ」としても
少し経つと、なんやかんや文句言いながらも
良くも悪くも、一定慣れてしまいます…

ジタバタしても、ほんの一瞬だと思ってます。

これから、どんな時代になっていくのかはわからないですが
とにかく、流動的だということだけは
しっかりと、頭に入れておきたいです。