どんな環境でも状況でも幸せに向かえる

どんな環境でも状況でも幸せをつくることができる
こういった言葉の意味、今なら理解できますが

30代の頃…だいたい20年くらい前の私には
なかなか理解できなかったです。

わかってはいるけど、なかなかそうなってなかったです…
きっと、その頃は
子育てや経済的なことや、その他自分の親関係諸々があって

そういう考えを入れようとしても
それを入れる場所がなかった。

でも、今なら自分が変われば幸せになれることもわかりますし

30代の頃、たくさんのことを抱え込んでいたけれども
「幸せになりたい!」という思いを
とても強くもっていた、その時の自分も今なら俯瞰して見ることができます。

自分で言うのもなんですが
振り返ってみて、20年前の健気な自分が見れました。( i _ i )

心の余裕がないと、自分の中に入ってこない言うのもありますが
幸せになりたいのであれば
それに向かって「まず、動く」ですね。
それが、どんな小さなことであっても
幸せにつながっていくんだろうな…と。

今週、久しぶりに感謝日記をつけようとしたら
まず

感謝することが浮かばない・・・


と言う、自分の心の固さを感じました。
これは自分でもショックでした。

そう言うちょっとしたことを感じられていないって
やっぱり、ダメだなと心を改めました。

歳を重ねるごとに幸せには敏感になる

歳を重ねていくことで、感じることに鈍感になったのか…

という感覚を持っていました。
それは、若い頃感じていたような
ちょっとしたことへの怒りだとか、苛立ちが少なくなってきていたからです。

特に、中高生の頃を思い出すと
ちょっとしたことに対して、すぐにいろいろ反応して、
大人の矛盾しているところや、正論が通らないことに
すごく苛立ちを感じていて

もちろん、友だちと遊んだり、好きなことをしている時には
普通に楽しく、幸せを感じていたと思いますが…
逆に、とり立てて、幸せを感じようとする気持ちなんて
わざわざ持っていなかったですね。

周りのいろいろな刺激に対して過敏だったな、と思います。

これを「多感な時期」というのだろうなと思いました。

ちょうど、最近考えていたこと。

多感な時期という言葉は、歳を重ねてからじゃないと
理解できない言葉なんだなということ。

中高生で自分がその真っ只中の時期には
それが普通と思っているので、多感とは思っていないし

多感だったかどうかは、歳取ってからでないと比較できないものだな…と。

それで、最近は
あまり何に対しても、感じなくなったのか
大人の世界に染まってしまったからか
イライラすることも減ったな…
だんだんと、感覚が鈍感になってきているのかな、とちょうど考えていたんです。

でも、そうでなくて
逆の、幸せの感受性は確かに上がってきていると考えると
鈍感になったんじゃなくて
人それぞれ、いろいろな考え方があることを知って
それを受け止められるようになってきたんだな、と思えました。

20年くらい前から
渡辺和子さんや梅原猛先生、斎藤一人さんのお話を聞くたびに
私は、そんなに大きな気持ちでは考えられない…
人をそこまで受け入れるなんて…という思いが強かったです。

でも、そうなりたいという思いもあって
その時には、自分の中に落ちなかったけれど
今では、少し近づいたように感じます。

それは、歳を重ねることで
いろいろな経験をして、自分が変わってきたと思います。
歳を重ねることで、自分の中に落ちることがあると思いました。

若い頃から、小さな幸せや感謝の気持ちを
敏感に感じている人もおられると思いますが
マイナスのイメージのある加齢に伴って
幸せの感受性が上がる、ということも実感しています。

幸せの足し算と感謝の足し算

モノに関しての失敗は、クヨクヨしないです。 
良かったところを探す感じがあります。 

自分でもよくわかりませんが 
自分の言動などに関しては、失敗というか 
ダメだしが無意識に出ています。 
失敗した感がわりと強いです。 
これは、改善点を見いだすと言えば前向きでしょうか。 

今週に入って、感謝日記をちょっとずつ続けていますが 
ホントに、幸せの足し算です。 

日ごろ、感謝を感じずに過ごしていた私にとっては 
「感謝」に、鈍感になっていて 
ちょっとした感謝を探すのにも 
実は、結構な労力がいります。 

同じ生活をしていても 
毎日、感謝を感じて過ごしていると 
すっと、感謝する出来事が見えてくるんだろうな 
そうなりたいな…と思って今、続けています。 

毎日続けておられる人の、感謝の視点って 
そんなところに・・・という驚きがあります。 
そして、そうなりたいな、と思っています。 

感謝も、幸せも、生活の中にある 
小さいモノを自分で見つけて 
足し算していくところは同じですね。

自分の気持ちに正直になってみると

意外と自分の気持ちに気がつかないことが多いです。 
仕方がない、という思い込みやブレインロックが 
いつの間にかあります。 

長男はポジティブで楽天的 
次男はコツコツ型の現実的というか 
ま、優等生的で 
それぞれの進路選択をしています。 

息子2人を見ていて先日、思った事は 
現実的なモノの考え方をしていると 
自分がやりたいことを考えずに 
できることや、やらねばならないことを 
優先しているのかも…と感じました。 

ねばならない 
こうするのが世間一般での、当たり前という気持ちが 
無意識のうちに、自分のやりたいことに対して 
ブレーキをかけていることもあるように思えました。 

次男もそうですが、若い頃の私も 
なんでも枠の中から、考えているように思いました。 
枠からはみ出ないように 
枠におさまるようにとしているうちに 
自分のやりたいことを中心には 
あまり考えなくなって 
だんだんと自分のやりたいことが 
自分でもわからなくなってきてしまいます。 

入塾してやっと少しずつ 
いろんな思い込み、ブレインロックが外れてきて 
自分の気持ちに正直になって 
やりたいことがいっぱい出てきました。 

ブログやTwitter、Instagram… 
それだけではないですが 
以前の私なら、考えもしなかった世界に 
いるような気がします。 
自分の気持ちに正直になって 
行動すると、50になっても楽しいです。

幸せを伝えて人間関係をつくる

昨日、仕事のことで相談にきた若い子? 
なんて言ったらいいんだろう30代男性部下が 
私のアドバイス受けて対応したことで 
予想以上の良い結果がありました。 

上手くいったことでもあって 
それを、真っ先に伝えに来てくれたので 
私はとても嬉しかったです。 
幸せな気持ちになりました。 

だから、結果が良かったことも嬉しいけれど 
そういうフィードバックをすぐに 
返しに来てくれることが嬉しいと 
感謝を伝えました。 

昨日、もう一件 
40代の女性が私に話しにきました。 

2ヶ月ほど研修に行っている人から 
職場に届いた資料内容が 
「自分の知らないことが多くてとても良かったんです!」 
という感想でした。 

だから 
「そういうことは、直接返してしてあげたら 
〇〇さんも嬉しいと思うよ」 
と伝えました。 
「でも、急にメールとかしても…」 
とかいろいろ言っていましたが、どうしたのかな。 
もちろん、私はその資料に関して 
メールで感想を伝えています。 
相手の幸せのために、すぐにでも返していてほしいな… 

また、聞きたいと思います。 

その人のお陰で幸せな気持ちになったことを 
本人に返すことって、返された本人は意外と嬉しいです。 
(私がそうなので) 

仕事では、当たり前のことなのですが 
ついつい、できていないことに目がいって 
できていることはできて当たり前、となっています。 

でも、嬉しく思ったことや 
幸せな気持ちにしてもらったことは 
それとは別に、本人に伝えていくと 
そういうことがデフォルトになってくると思っています。 

言うは易しで 
私は家庭でも、もう少し 
幸せな気持ちの共有をしないと…と思いました。

幸せのヒントは自分の資質にある…

ストレングスファインダーの上位の資質を 

幸せの循環が働いている才能と見る 
という考え方が、とても私の中に落ちました。 

私は、回復思考が1位で 
それを、あまり意識したことなかったのですが 

そう言えば、逆境に立たされるようなことが起こると 
めちゃくちゃアドレナリンが出るのが、自分でもわかります。 
その状況をなんとかしよう、と思う気持ちが 
自分の中から湧いてきます。 

たとえば 
家で、洗う食器がたくさんあると 
食洗機を使わずに、自分で洗いたくなるときがあります。 
ひとつずつ片付いていくことに 
達成感がうまれる…みたいな感じです。 
(共感してもらうのは難しいかと思いますが) 

結婚当初、うちの家は 
夫が、一人で働いていました。 
子ども2人が、まだ小さかった頃に 
ほんとに急に、入院をして 
しばらく原因がわからず、手術する?経過を見る? 
わからないな…と1ヶ月、2ヶ月と経っていきました。 

その時は、不安というよりも「私がやったるで」って感じで 
小さな子ども2人を車に乗せて 
3人でなぜか「翼をください」を大きな声で歌いながら 
お見舞いに行っていたのを思い出しました。 
上の子は小学生だったのかな。 

だから、逆境に立った時に 
私って「自分が不幸だ」と思うことはないな…と思っていましたが 
それは、回復思考からくるものなのかな、と思いました。 

結局、夫の入院の原因が何かわからないまま 
3ヶ月ほどで退院しましたが… 
あれから、15年くらいかな、元気にしています。 

その他、仕事でもプライベートでも 
どうしようもない状態を見ると、頑張りたくなります。 

やっぱりその力が、私の幸せにつながっているんだ…と 
改めて感じました。 

私の基本的欲求は 
「愛・所属」と「自由」が高いです。 
だから、一緒にいたいけれど自由でいたい…みたいな 
属したいけど、そっとしておいてほしい…みたいな 
とっても面倒な欲求だな、と自分では思っています。 

ストレングスや、基本的欲求をもとに 
しっかりと自分を見つめたら 
もっと、自分の幸せのヒントがありそうです。

ずっと前から幸せについて考えていました

ずっと前から
幸せについて考えてきました。 

渡辺和子さん、梅原猛先生、斎藤一人さん、選択理論心理学…

お金がない時には、お金さえあればと思うし 
時間がない時には、時間さえあればと思うし 
もちろん、大切なものはたくさんあるんだけど 

結局は、自分の気持ちの中に幸せがあるとわかりました。 
でも、わかっていても、幸せになれない時も 
まだまだあります。

今は、ハードな毎日だけど 
これをキープできているのは 
いろいろ投稿することで 
自分の気持ちを、表出できているからだ 
と思っています。 

私の上質世界に 
投稿することや、読書、ブログ、Instagramなんかが 
入っていることに気づきました。

だから、しんどくても 
それをとってしまうと、ダメなんだと思っています。 
これも思い込みかも知れないですが…

まとまりないですが 
週初めなのに、帰りが遅くなりました。 
今週は休みのない1週間なのに…って感じです。 

ふり返った時の幸せにむけて、日々の幸せを感じる

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今思えば、小さい頃からネガティブだった私は

「先生に当てられた時、上手く発言できなかったな…」とか
「友だちに、こう言えばよかった…」とか
他人がまったく何とも思っていないようなことを
勝手に1日引きずって、ドヨーンとしていました。

周りの出来事(かな?)に自分の評価を振り回されていました。

でも、そんな大したことない失敗をたくさん経験して
だんだんと「大したことない」と実感できるようになってきました。

学校に行っている間は、どこか正解があるような世界なので
自分のすることに自信がなくて、不安で
はみ出さないように、ソロソロと歩いていたように感じます。

大学は少し自由、社会に出たら、ある意味もっと自由だな
と頭では感じていました。
でも、なかなか枠から出るのは怖かったですね。

でも、人生成功ばっかりではないから
失敗ではないけれど、思い通りに行かないことがたくさんあって
それを、不幸せと思うこともありました。

第1子の長男は、8ヶ月の早産で1600gで産まれてしまいました。
私はとても責任を感じて、自己嫌悪になりました。
そんな世界、まったくイメージしていなかったので、とてもしんどかったです。

それを引きずって、全部ずっと心配で長男とは色々ありました。

当時は必死なので、そんなこと考えられませんが
どれがいいとか、幸せとかなくて、時間とともに
全部合わせて、私の人生、息子の人生、家族の一部だったんだな、と
長男が20歳を過ぎて、やっと感じられるようになりました。

そして、もっと小さな赤ちゃんもたくさん見て
今の時代、早産で1600なんてそれほど珍しいこともないですが
お母さんの、受け止め方も人それぞれで
私みたいに、しんどくなる人もいれば、産まれてきてくれて幸せと感じる人もいて
第1子、第2子でもまったく違うし…
本当に捉え方だな、と感じられることがたくさんありました。

幸せって、何かの基準があって
人が判断することではないということを
少しずつ実感して、理解できるようになりました。

でも、人の評価の中で
絵に描いたような幸せに憧れてしまう時も、まだまだあります。

昨年亡くなった父が、余命宣告を受けた頃に
「それでも、まあ、いい人生やったわ」と言いました。
こんなに私がずっと大人になって反抗していてもそう思うんだ…と感じました。

死を感じると、次元が違う、見えるものが違うな…とも思いました。

今、欲しいと思っている幸せが
人生を振り返ったときに、幸せと感じられるものに繋がっているといいな、と思います。

juneberry-miyatomo.hatenablog.com