きっと、シフトしていく時期なのだろう…

人間関係って、本当にすべての核だと思っています。

最近、大学生の息子から
私と私の母親の関係について、意見をされることが多くなっています。
(平たく言えば、いろいろ言われるっていうことです)
浪人生息子も発言はないですが、会話に入っています。

昨日も、そんな話になって
責められている訳ではないのですが
私が、私の母親を避けていることに対して
最低限の付き合い、体裁くらいの付き合いはした方がいい
と、言うのです。

「嫌い」なのはそのままでいいから
付き合いはしましょう、ということです。

私が大学生の頃に、親に意見するなんて
考えられませんでしたが
今は、息子たちは思ったことを言ってきます。
そのことに対しては、まったくイラッとしませんし
「大人になったな…」と嬉しく思います。

そして、それはありがたいことでもあるし
すごく、すごく、耳が痛いことでもあります。

ちょうど、お盆もあってそんな話がよく出て
「すべての人間関係は、落としどころを見出す行為だ」
という言葉も、私にはすごく響いて
このままじゃ良くないな、と思いました。

息子たちも、いつの間にか大人になっているし
私もいつまでも、同じ場所にとどまっていることはないんですね。

母は、困った人なのか…。

困った人について、考えていると
思考の偏りのような、自分のこだわりが
だんだんと、見えてきました。

基本的には、人と自分とが違うことに関しては
ほとんどは気にならず「違うんだな」と
思うだけです。

でも
「すべての人間関係は、落としどころを見出す行為だ」と言われると
なぜか、素直に頷けないところがあって…

これは、歳をとったから解決することではなくて
自分で、考え方を変えようと思わないと
変わらないのだな、と実感しました。
そこで、ジタバタしている自分が見えました。

いろいろな角度から、本当にいろんな角度から
物ごとを見て、やっと見えた気もします。
ありがとうございます。

サイコパスの焼き畑農業

上手いこと言うなぁ…と。

テイカーであるサイコパスは
自分のためにしか動いていないので
テイカーが通った後には、何も残らない感じがあります。
上司はぎりぎりマッチャー。
これも、納得です。

とにかく、テイカーとマッチャーには
プライベートでは関わりたくないです…
と思うと、職場での関わりって
寂しいモノかも知れないです。

シンプルに考えると
その場限りの付き合いですね。
それに気づいて、気楽になった気がします。
(今、テイカーはいませんが、一応次のために)

マッチャーが嫌いだと今日わかりましたが
「だから、なんだ…」と思い当たることがありました。
間を取ってマッチャー的に振る舞うことが、苦手なようです。
ちょっと、柔軟になろうと思いました。

傾聴と忍耐と

初夏のころ、職場で
この歳になって、久しぶりに
ドキッとすることがありました。

ある女性が、キツイ言い方で
物ごとの進め方についての反論を続けました。
私は、初対面でした。

やっぱり、自分(私)の言っていることに対して
否定や批判をされると
慣れていてもドキッとしますし
その時は、迫力があって鳥肌ではないですが
身体が、ザワッとしました。

どちらかと言うと、私は同席している立場でしたが
結果的には、言い分を全部聴き(聴くだけです)
傾聴していました。
この場合、傾聴というよりも忍耐の方が大きかったと思います。
(でも、それが表に出ないところが傾聴なのかも)

考え方が違うんだな、という思いが強かったです。

その時に、傾聴と忍耐が大切、特に忍耐が大切とは
考えてもいなかったですが
本当に、その通りだと強く実感しました。

傾聴という言葉の中に、忍耐も合わさっているんだと思います。
その時には「これ以上言われたら次はどうしようか…」と
頭をよぎりながら、うなづいて聴いていました。
でも、その後はあっけなく終了して
ホッとしました。

その人が、周りに望んでいるもの
選択理論でいう、その人の欲求充足を考える視点は
物ごとを、とてもシンプルにしてくれると思っています。

相手が何を望んでいるのか
その時は、私たちが傾聴することで
彼女は、欲求を満たすことができたのかも知れないです。

もしかしたら
「聞いてくれた」「わかってくれた」「話せる人がいた」
「聞かせてやった」「わからせてやった」等…
彼女の思いは、それ以外かも知れないですが
何かが満たされて、その場では
それ以上、言わなくてよくなったんだと思います。

後日、何もなかったかのように普通に話したり
話さなかったり、しています。

次回、同じようなことがあれば
もう少し深く考えて、接してみたいと思います。

コヴィー博士が仰った「傾聴と忍耐」。
「コヴィー博士でもそうなんだ…」と思うだけで本当に心強い。
「傾聴と忍耐」をセットで大切にします。

変えられるものと変えられないもの

母との間にはまだ、しこりがありますが
年々、薄らいできています。

母親に、会ってしまうと
物ごとをスルーする余裕が、なくなるので
対処法として、あまり顔を合わさないようにしています。

ここでは、いろいろなテーマの投稿で
子どもの頃のことを思い出して、書いていますが

その中で、母について思ったことを書いているのも
自分の中のものを出して、消化させているところもあります。
そして、文字にしてみると「大したことないことだな…」と
自分で、感じることが多いです。

それと、時間があいて、再度母親の内容を投稿した時に
少しですが、自分の内面の変化を感じることがあります。
毎日いろんな情報を得たり、選択理論を学んだりしながら
私の中での上質世界が、変わってきているのだと思っています。

自己完結せずに何かしら、周りを巻き込む人は
その人の欲求が、満たされていない…
と言うことも、感じられるところです。

私が、母への思いがだんだんと弱まってきているのは
「変えられるものと、変えられないもの」の区別が
つくようになってきたことが、一番大きいと思っています。
まさに「変えられるのは、自分だけ」です。

その区別が、できるようになってきたことは
多くのことが、シンプルになります。

頭では、わかっていても
納得できず、受け入れられない状態も、しばらくあって
(今も、すべてを受け入れられていないですが)

人のことを変えようとするのではなくて
自分が、どうなりたいのかを中心に考えられるように
なってきたんだと思っています。
まだまだ、発展途上です。

自分の満足のために人を使わない距離感

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今週は、困った人たちを通して、自分の振り返りができて

自分の頭の中でも、整理ができました。
自分がやってきた事も可視化できて
私の中で整理がついたような気がしています。

とにかく、自分の欲望を満足させるために
人を使わないということですね…。

若い頃は、今よりももっと
自分が、気持ち良くなるために、自分の満足のために
人を助けているようなところがあって

歳とともにそれに、だんだん気づいていて
それを、すごく嫌にも思えているところもあって
必要以上に、愛想良くしないようになりました。

いい人をやっている、本当の意味が
自己満足であることが多かったので
そこには、一定の距離がある方がいいと感じたからです。

軽いサークルやコミュニティの集まりなどが、心地よく感じられるのは
良くも悪くも
相手のテリトリーや、パーソナルスペースに入ることが
そこまでない距離感だからだと思います。

みんな、とってもいい関係だと思います。

juneberry-miyatomo.hatenablog.com

私が人間的に惹きつけられてしまう人は…

f:id:juneberry-miyatomo:20210220082718j:plain「人間磁石症候群」

思い当たることは、いろいろありますが
とりあえずは、夫婦関係について考えてみました。

数日前に、夫へのマンティングがあるかもと感じたことも
気になっていましたが…

私は利他気味です。
いわゆる「つくすタイプ」です。
そこで、自分の欲求が満たされるというのも
その通りです。それは、職場でも、家庭内でもです。

母親が、利他的で、子どもや家自体に依存して
自分の欲求を満たすタイプだったということを感じました。
ロールモデルなんだ、と思います。

対して夫は、利己的という感じではなく
頼りない感じ、という言葉が合うかと思います。

そこでの、依存関係成立しています。

よく話しているのが
私が3人兄妹の長女で、夫が3人兄妹の末っ子だったので
しっかりしないといけなかった長女と、いつもついて行っていた末っ子とが
それはそれとして、お互いに納得しているところがありました。

だから、私が専業主婦だった時は、上手く回っていたのですが

私が働き出して
さらに、夫よりも家を早く出て、帰りも遅くなってくると
いろいろな不、具合が出てきています。

「自分が利他的であった時に
相手も同じぐらい利他的であるということを前提として
行動するのは誤りである」

まさに、ここがモメる元になっています。

私は、それぞれの価値観が違うということが
まだ、受け入れられていないようです。
特に家族だと…。
頭では分かってはいるけれど、イラッとしてしまうところがあります。

ただ、私が利他気味なのに対して
夫はサイコパスではなく、頼りない系なので
故意的に、利用されるという感じがないのが救いです。

根本裕幸さんという有名なカウンセラーが
関西におられるのですが
その方の表現が好きで、本を読んだり、講演を聞いたりしていた時期がありました。

根本さんの言葉に置き換えると、私は

「親密感へ怖れが強いロックマン

が好きなようです。
本当にそうだな、と感じていました。

うちの夫もそうですが
職場でも、それ以外でも、つい、そう言った人に近寄ってしまいます。
自分勝手な依存性が
本当に勝手に、働いているんだと思います。

結局は価値観の違いだけ 困った人との付き合い方

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困ったことって、確かに「なんで?」 

と思うことが、はじまりです。

去年の夏頃に「サイコパス」についての特性を知ったことで
少しずつ、私の頭の中で
サイコパスについての、モロモロが変化してきました。
それまでは、サイコパスの人の行動はまったく理解出来なくて
ただただ「なんで?ひどい」という思いだけでした。
でも、特性を知ってから、様子を見ている
確かに悪意はない。
人を利用しているだけ(それもどうかとは思うけれど)。

なんか、そういう頭の構造なんだ、と思えてくると
自分の中で、そういうモノだ、と割り切ることができて
そこに引っかかることが、少なくなってきました。
これまでは、本当に許せないくらいに嫌いでしたが
今は、近寄りませんが
その人を見ても、嫌な気持ちはしなくなってきました。

決して、いい人だとは思いませんが
必要以上に、嫌がることもないと思えてきています。

でも、たまに、自分の都合のいいことばかりを
上司や権力のある人に話しているのを見ると

「・・・。」

となります。

でも、だんだんと無駄に気を使うことがなくなって
自分が楽になってくる感じを、味わっています。

でも、残念ながら、そういう思考が効かないのが
母親でした。

私は、小さい頃から、甲殻類アレルギーがあったようで
エビフライなどを食べると、いつも喉がかゆくなっていたのですが
「気のせいや」と言われ続けて
大人になって、やっとアレルギーだと分かりました。

それで、それが分かった今でも
母親は知っていても、私にエビやカニを進めてくるのですが
大人になっても、それを断れなかったんです。

「せっかくやのに…」と嫌みを言われるような感覚が辛くて
仕方なく食べていたら
その時は、体調も良くなかったようで
いつもよりも、本当にひどいアレルギーが出てしまって
鼻水、くしゃみから、全身にじんましんや、眼球まで腫れてしまいました。

本当に怖くなって
今後は、絶対に断ろうと心に誓いました。
それからは、食していません。

その時は、母にはスルーされるし…
私は「やれやれ」と思っていたら

妹から
「嫌や、って食べへんかったらいいねん」
「何で、ほっとかないの」
と言われて、目から鱗が落ちました。
それは、35歳くらいの頃のことです。

いちいち、真面目に受け止めている自分に
まったく、自分で気づいていなかったんです。
小さい頃から「親の言うことをきかないと怒られる」
と言う思いが、私にしみついていて
大人になってからも、言えなかっただけなんですね。

それからも、少しずつですが
本当に少しずつ、頭の中から変化しているけれど
親と価値観が違うという事実が、なかなか受け止められなくて
つい、そこに介入してしまおうとする自分が
まだ居ます…。

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