判断の線引きと、判断リソースの節約

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昨日朝、体調が悪い中ゆっくり起きてくると
大学生の息子から、必死の相談を受けました。

12月末の集まりで、サークルの先輩の色紙を贈る。
その色紙(寄せ書き)の図柄というか、真ん中の部分
どうしたらいいかな…と。

しかも、もうすぐ家を出るから、それまでに作らなければいけない。
9枚も。時間がないと。
(なんで、もっと早くからやってないのか…)

私も体調が悪くて、病院の午前診療の時間がない中

とりあえず、ググっていくつか画像を出して
「こんなんどうなん?」と提案しても

「写真も貼るし…」とか
「書けへん…」とか

私にとってはどうでもいいことなんで
そして、簡単にできることなんで
「じゃあ、真ん中部分だけプリンターで印刷したら?」

もう、私も時間もなくて、めんどくさかったので

例えば…と
「いらすとや」からとったテニスボールのイラストを
真ん中に置いて
あとは、サークル名や、日にちや適当な文字を入れて印刷しました。

すると、コピー用紙だったので「色がどうの、こうの」言うので
以前に残っていたインクジェット紙にプリントしてみました。

「で、あとは自分で変えて、やりたかったら印刷しーや」
と言って放っておきました。

すると、
「全体写真、入れた方がいいかな」とか
「〇〇先輩って、上に書いた方がいかな」とか

私にとってどうでもいことを、独り言のように
話しかけてくる…

そこで、もう一度初めから考え直して、作業が止まっている。
心の中では、私もだんだんイラッとして(心の中です)

今、時間がない中
「電車の時間までにすることは、とりあえず9枚作るこやろ?」
と言って、また放っておきました。

色紙なんて、大量に作ったことがないので
不安なんでしょうね。(私もないけど)

いちいち、私に確認してくるんだけれど
部外者の私は

「いいんちゃう?」

としか言えないし
結局、自分で判断して、決めるしかないんだけどね。

長男は、夏休みの宿題を最終日までやってないのに
完璧を求める…みたいな
自分らしさを出すようなものは
苦手なところがあったな、と思い出しました。

誰かに文句言われたら嫌やし…
そんな感じです。

実際プリントしてみて
具体的になってくると、自分で色々工夫して
1時間後には、9枚作ってギリギリに出ていきました。

きっと、頭で考えてるばっかりじゃなくて
「まず動く」ができるようになると
やっていることが、具体的になってわかりやすいのに…
と母は思います。

とにかく、私から見ると優柔不断で、決断力に欠ける息子です。

これからの経験で、判断の基準や線引きを
イメージできるようになれば、いいと思いますが
とりあえず、今後、色紙系をお願いされたとすれば
いろんな判断ができるハズです。

あと、私が日常生活の中で
「判断のリソースを節約」していることと言えば
仕事着を、エアークローゼットにしていることです。

苦手分野を、お任せできることは
本当にありがたいです。

エアクロを利用することで
服選びに時間をかけることも、労力を使うこともなく
そして、パフォーマンスはいい。
これは、判断のリソースを節約できていると
心から感じています。

無意識の層を厚くして、判断へつなげる

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職場で、周りの人の判断を見ていると

いろいろアドバイスをもらったりしながら
その時の判断は、変わるけれども
ベースとなっているところは
大きくは変わらないな、と感じることがあります。

これが、無意識の判断がベースになっている
ということなのかな、と感じました。

どういうことかと言うと
小手先での、判断を変えても

結局、土台のところでの判断が
無意識で、自分の持っているものであるというのが
変わらない、と言うことを感じます。

ま、それが、それぞれの個性だとは、感じています。

若い人に相談された時に
判断の仕方を、伝える機会はあるんですが
一度アドバイスをして、それがすぐに落ちる人と

やっぱり見た目、小手先で、判断をしているように
真似をしているような

形だけを合わせている人は
また、同じ判断をしなければならないような部分で
つまずいていると感じます。
やっぱり、経験が必要ですね。

そして無意識の判断って、奥深いですね。
無意識の層を厚くする、っていうイメージ持ちました。

暫定的な判断からはじまって、不安がなくなる

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結局、暫定的な判断が難しいんですよね。 

すべて材料がそろっていて
そこで、どうするかの判断だったら
単純で、まだわかりやすいのですが

日常的に、判断を迫られる場面っていうのは
欠けている部分があったり
イマイチな時期だったりと
本当に、判断に困る環境で
実際は、たいてい暫定的な判断ですね。

私は、今できる範囲でできることを、と考えて
とりあえず、進むようにしています。
(結局、できることしかできないので)
そうしていると、職場でも周りの人に
そう言う感覚が、広がってきているように感じます。(^_^)

そう言うときによく使う言葉、便利だなと思っている言葉が
「期限を切って試行してみよう」と言うと
とても進みやすいな、と感じていました。

やってみる前の不安って
試行してみると、だいたいがなくなって
逆に、やっていく中での改善するところが見えてくるので
少しずつ、前に進むように感じます。

そうすると、周りの人もマネをし出してくれて
いい感じなので、ちょっと嬉しいです。

「もれなく」することが苦手かも

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私自身が、シンプルに伝えたいと思っているので
どれだけ「重なりなく」するかには
自然と意識が向いています。

でも「もれなく」が、苦手と言うほどではないですが
抜けていることがあります…

何か物ごとを、すすめる時など
例えば、旅行とか、幹事的なこととかは
頭の中でシュミュレーションして
あまり、もれはないんですが

書類系は、どうも抜けていることがあります。

多いと言うわけではないですが
自分でも見つけられない「抜け」があるので
書類系では、人のミスにも気づきにくいです。

いずれは、AIが行うから…と
言ういいわけから、そこだけはポジティブで
あまり、気にしていないですが

ちゃんと、目で見ているのに
そのミスが見えない自分にも、驚きです。
(ごめんなさい…ということも)

その時に、働かないといけない脳が
動いていないんでしょうね。

指摘されてから、いつも新鮮な驚きをもって
自分のことを感じています。

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「それって本当?」自分で問いかける

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「それって本当?」と問いかけること 
とても大切だと思います。 
 
でも、まだ私の頭の固い部分があるのか 
常識として、捉えてしまって 
その周りのことを、どうしようもないと 
考えてしまうところがあります。 
 
日常生活の中では、なかなか難しいことが多いですが 
職場では一定の枠の中で 
システムとして変更できるので 
話合いながら、今まで常識だと思っていたことを 
変えられます。 
 
一定の反対意見もありますが 
コロナ禍で、ずいぶん慣れてきたこともあって 
「それって本当?」が、他人ごとではなく 
浸透してきているように感じています。 

今日、仕事で考えが煮詰まっていたので

その仕事には関係のない、30代の男性に(私から見ると男の子だけど)
「ちょっとアイデア欲しいんだけど、10分だけ話させて」と言ってみると

何のことはない、一瞬で目から鱗のアドバイスが。
やっぱり、歳とともに発想が凝り固まってるな…と痛感。

同じヒントを周りからもらっているのに
悲しいかな、気づかなくなってる…

最終的な決定権は、置いておいても
やっぱり、若い人の意見って大切だなと思った出来事でした。

自分の中の「それって本当?」って

問いかける機能が、衰えないようにしていきたいです。

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専門性が高まっても知的謙虚さを失わずに

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今の職場で働き出して10年になりますが
少しずつ、自信も出てきています。
そういうことが、プラスに出るところと
マイナスに出るところがあるな、と思っています。

自信がなかったころは
全体像がわからずに、不安で仕方がなかったのですが
なんとなく全体像が見えてくると
それで安心してしまって
大学卒の新規採用の若い子の意見を
つい、まだまだ甘いな…
みたいな目で見ているところもあります。

でも、そういう外部の目(素人目)から見ての意見って
とても大切なハズなのに
最初から省いてしまっている自分にも
気づくときがあります。

同じ世界で働き続けて
専門性が高くなるのは、とてもいいことですが
そこで、外の意見を素直に受け入れられるようなことは
したくないと感じています。

知的な謙虚さのないリーダーの危険さは感じます。
自分の生活の外の知識を知れば、自分の力となるので、安心できるところもあるんですが、知れば知るほど、まだまだだな、と思うところもあります。

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子どもの頃に考えた正しい判断って…

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以前にも、さらっと書いたことがありますが
私の小学校では、卒業証書をもらった後に
保護者の方を向き、ひとこと抱負的なものを語る場面が
設定されていました。

子ども心に、なんでそんなことを言わないといけないのか…
と、無気力だった私は
とても面倒くさかった覚えがあります。
みんな、ノーベル賞をとります、とか
プロ野球選手、保母さん…などなど言っていましたが
私は、特になりたいものもなくて
すごく悩んだ結果

「正しい判断のできる人になりたいです」

と言うことにしました。
これは、今でも覚えています。

当時どういうことを考えたのかは、忘れましたが
たぶん、できないだろうことは言いたくなかったり
大して、強く思っていないことを言うのも
子ども心に、ためらわれたのだと思います。

おそらく、私の周りの大人は
正しい判断ができていないんじゃないかな、と。

きっと、そう感じられるような経験が多かったんだろうと
思います。もう、推測の域ですが。

その時言った「判断のできる人」というのは
今の仕事の世界で、あるような
想定外の場面での、急な判断といった要素よりも
道徳的な判断(考え方)
という意味が強かったような気がします。

大人は、表面ではきれいごとを言っているけれど
何か、理不尽に思うことがあったようにも
思い出されてきました。

そう思うと、ちょっと言葉の使い方
間違っているかも…。

状況の判断が、比較的優れている人は、回りの意見に耳を貸し、最終的には自分で判断しているように思います。状況判断が苦手な人は、自分の思いが強かったり、人の顔色を気にしたりすることが最優先となってしまって、何のための判断なのかがわからなくなってしまっているように見えます。だから、人の意見に対して、謙虚に耳を傾けることは大切だと思います。
私は、こだわりのある部分では、自分のフィルターで物ごとを見てしまうことがあって、人の意見を聞けない傾向があるので、すべてに知的謙虚さをもたないと…と思っています。
結局、判断をするには一定の判断材料が必要なので、一方向からの意見だけではなく、多彩な経験や、意見を聴くことが必要だな、とは思います。ただ、そこで情報が多くなった時に、自分では処理しきれなくなることがあるので、私の許容内での情報を活用して、自分で判断することがいいかな、と今は思っています。

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