歳と共に経験値から学べること

主体的になるって、私にとっては
子どもの頃や若い頃は勇気のいることだったな…と思い返しています。

歳とともにという言葉をあまり使いたくないのですが
投稿では、最近ホントによく使っていて
でも、やっぱり経験値が上がることは
主体的になれたり、逆算思考に役立ったりと
やっぱりプラスに働いているな、と思います。

でも、本当に人それぞれで
夫を引き合いに出すのも、アレなんですが

夫は歳上ですが、3人兄弟の末っ子で
ついて行くことが心地いいようです。

私が主体的なところには、夫はまったく興味がなく
私の感覚からすると「どうなんだろうか?」って感じですが
自分の趣味などの全然違ったところで主体的です。
だから、私がのびのびとやっていて
私にとっては気楽です。

若い頃は「着いて来いタイプ」の人が格好よく思えて
好きだったんですが

見た目と違って、意外と意見して
主体的な若者が2人いると
まだ譲れなくて、勝ち負けで捉えていた時期なのでσ(^_^;)
そりゃ、あまり長続きせず

その辺りから
「もしかしたら私って着いて来いタイプと合わないんじゃないか…」
と思ってましたね。

若い頃って、ドラマの主人公のような人に憧れてましたし
すぐには、受け入れられなかったですけど。

ずいぶん、話がそれましたが

それぞれの主体性が違うことや
自分の主体性を、心置きなく発揮できる環境に気づくのにも
それなりの失敗経験が、必要だったので
やっぱり、歳を重ねることって伊達じゃないなと思っています。

子どもの頃の、消極的な自分から考えると
とにかく、環境が変わったことが大きいと思います。

気になっていて、主体性を発揮してみたいかも

少し前までは、私も頭が固かったと思いますが…

もともとが、チャレンジするタイプだったので
とりあえず試してみることを
さらに、気楽にできるようになったと思います。

職場では、相談してくる人たちに対して
「あかんかったら、また考えようか、まず、やってみよう」
と背中を押すことができて
背中を押される方は、一応相談したということで気持ちが楽になるようです。

主体的な行動ができるように
環境として、人の役に立てることは嬉しいです。

でも、私と同じ立場でも
頭の固さはそれぞれ違うので、私は残念に思うこともあります。

私も、以前は頭が固かったのでそんなモノだろうな…と思いますが

自分が自分の裁量の部分で、臨機応変にできることに対して
周りがビクビクしていたり
ドキドキしながら伺っている様子を見ると
自分が少し成長したことで
少しずつ周りとの感覚が、ズレてきていることを感じることもあります。

以前読んだ本にあったのですが
組織の中で、50代が柔軟な感覚を持たないと
本当に何も進まない、と実感しています。

少し外れますが
転勤で職場を変わっていくと、その職場の課題を感じます。

結局、転勤があずって、誰もずっと、そこにはいないので
芯の通ったものが、組織に出来上がっていないような気がして
残念というか
その任期の間に、何を目指して組織を作ればいいのだろうか…
と、基本的なことを今さらながら、最近考えています。

目の前の仕事はあるのですが

それ以外の、組織の風土のようなもの
すごく大切な部分って、特にマネジメントプランもなくて
いつの間にか、でき上がってしまっていて
だから、それを変えるのも難しい…

最近、深く考えています。

仕事の範疇といえば、範疇だし
範疇でないと言えば、範疇でない。
だから、誰も手をつけない部分なのかと。涙

そんなプラスαのところに、最近、気が向いていて
主体性を、発揮してみたくなっているところです。
ちょっとした、私の癖のようなモノです…

信頼残高をコツコツと貯めていく

昨日も投稿しましたが
私は「筋が通っているから正しい」
「だから、通るはず」という考えだけでは
物ごとが、うまく進んでいかないことを学びました。

もちろん
正しくないと、まず、ダメなんですが
主体的に動いていても「正しい」それだけでも足りなくて
主体的に動くことには、その土台が必要だということでした。

必死に、自分では主体的に動いていても
思っているほどの影響が出ず
空回りをしている感覚を味わったことがあります。

周りから見ると
「あの人頑張っているな…」って
思っていたんじゃないかな、と思います。
やっぱり、必死すぎて、心に余裕がなかったんです。

たぶん120%くらいで頑張っていた頃は
思っているほどの影響が出なかったですが
8割くらいで、肩の力を抜いて向かうと
ちょうどいい感じのように思っています。
(そういっても、きっと9割くらいじゃないかな、と思ったり)

何度か転勤をしていますが
転勤をして、夏ぐらいまでの間は
知らない人も多く、信頼残高がないな…と
と寂しく感じることもあります。
誰でも知らない人を、いきなりは信頼できないですよね。

でも、だいたい夏を過ぎてくると
だんだんと私を理解してくれる人が増えてきて
過ごしやすく、物ごとが動きやすくなってきます。
信頼残高は、日々少しずつたまってくるんだな
と実感します。
だからどんな職場でも、転勤前は本当に寂しいです。

評価することなく聴くことから

傾聴という言葉は、好きで
30歳のころから使っていましたが
今、考えると、恥ずかしいことに
あまり、ちゃんと実体がともなっていなかったように思います。
人って、歳とともに学ぶこと多いなと
つくづく思います。

昔は、人の話を「ふん、ふん」と耳を傾けて聞くことで
傾聴ができている、と思っていました。
(ここからは、私の主観ですが)

見た目は、変わらないのですが
人の話を聞いて、相手の考え方を受け止める的な

自分と、相手の意見は違っていてもいいんだけど
自分と違った考え方を、自分の中で
評価することなく聴く、ような感覚を
もつようになりました。

若いころは
自分と違う意見を、受け入れられなかったり
筋が通っていないことを
受け止められなかったりもしましたが
いろんな考え方がある、と言うことを
身をもって知るようになった感じでしょうか。

自分でも、いつから変わってきたのかは
わからないですが…

子どもは自分の分身ではないことや
正しいと思っていても、思い通りにいかないこと
筋が通っている「だから私は正しい」
それだけでは、人が動かないことを経験したような感じです。

「正しいことを言っているのに、なんでダメなんだろう…」と
職場で、真面目に考えている
以前の私に似た子を見ると
きっと、今言っても落ちないと思うけれど
一応、それとなく話しています。

どこか、物ごとを勝ち負けで捉えているうちは
受け止めて、見守っている様子は
負けに見えたり、すごく消極的でじれったく感じたり
するかも知れないですが

その場の勝ち負けでなくて、その人を知ることの方が
後々、良い人間関係ができてくると思います。

誰かのせいにする癖

たまに、投稿に登場する私の母は
いつも自分の境遇を、嘆いていました。

だから、何かあると子どものせいにもなるし
それだったら、指示なく動かないでおこうと学んでいました。
そうはしていても、何か良くないことが起こると
結局、親せきや、私たち子どものせいになりました。

結局、私もその環境で育ってきたので
「母のせいだ」と思うことが、ほとんどでしたが

大人になって、自分で家庭をもって
自分の意志で、決めることが増えてきて
失敗もあるけれど、自分の足で歩いてきた時間が増えてきて
だんだんと、人のせいにするところが減ってきたと思います。
(まだ、母への思いはゼロにはなっていないですが、ちょっとずつです)

人のせいにせずに
自分の間違いを、受け入れられるようになってきた
感じがあります。

主体的に生きていなかった、指示待ちの頃は
主体的に生きることが、とても不安だったように思います。
自分で決めたり、判断したり、責任が自分にきたり…

誰かに守られなくなるような感じがあって
想像しただけでも、怖いような気がしていました。

でも、主体的に生きるようになってからは、自由な感じと
大げさですけど
自分が生きている意味があるように感じられてきました。

ちょっと、違うかも知れないですが
「果ての国」もこんな感覚かも知れないな、と思いました。

流されるほうが楽?

私は、職場から主体的に、早く帰ろうとしています。
ダラダラしていたら、いくらでも遅くなります。

周りと違うことをしようと思うと
意外と、精神力がいります。
やっぱり主体的にやろう、と思わないとできないです。
やっぱり、その場の雰囲気にながされている方が
精神的にはムリせず、楽なのかも知れないです。

それなら逆に
早く帰る人が多い職場になれば
ダラダラしている人たちは、よっぽどの精神力がなければ
合わせて「早く帰ろう」
という考え方になると思います。

確かに、以前の職場で
遅くまで残るには、よっぽどの理由があるか
信念をもっていないと、みんなが帰っていく中
残業(サービスです)が、できなかったと思います。

人って、信念がある人以外は
周りの人に影響されているな、と感じます。
組織の風土を変えるのは、すごく難しいですが
少しの仲間ができて、一定数の行動が見えれば
その他の人たちは、少しずつ変わっていく様子を
今まで何度か見てきました。
今回も、そういう感じになってほしいと思います。

指示される方が楽だった子どもの頃

昔の私は、指示されるほうが楽で
自分で、創造していくことが
私にとっては、すごく難しかったです。
小学生の頃の、図工の時間なんかは
先生の指示が「思うように作ってみて」とか
「好きなように…」と言われると
すごく困りました。

周りの様子をうかがいながら
差しさわりのないモノを作るという感じで
すごく、苦労してしんどかったです。
子どもの頃は、典型的な指示待ちでした。

自分がやりたいと思ったことをやらせてもらえなかっり
親の言うことを聞いていることが
家庭内では最善だったりしたことから
学習したことだと、納得しました。

でも、思考は自由で、きっと主体的だったので
そのまま、親の言うことを聞ける子にならず
その板挟みでしんどい時期があったのだ、と
これもまた納得しました。

そういえば、結婚して自分が家庭をもった時から
とても楽になりました。
夫は、特にこだわりのないタイプで
家計も教育も、その他なんでも
私が主体的に物ごとを決められるようになったからです。
もちろん、失敗も多かったですが。

確かに、証券会社へ入社した時には
心を失くして、感じないようにして
仕事をしていた感じがあります。
最終的には、身体に不調をきたしたので
もう、そういう仕事はしたくないです…

好きなように…という
図工の作品づくりが苦手だった私が
少しずつですが
いつの間にか、主体的に生きられるようになった感があります。