感覚の中にあるフレームワーク

フレームワークを考えた時に、気づいたことは
こっちで聞いた関係性を、あっちで使うみたいな
モノのフレームワークは
あまり応用できていないな、と感じました。

何かの共通点に「ハッ」気づいて
「そうだそうだ」と、嬉しくなることは、たまにありますが
そのレベルで、あまりないです。

その辺り、あまり頭を使ってこなかったようで
頭が固いのだと思いました。

でも、人に対してのフレームワーク
人間関係や相関関係を
相関図として捉えることは、無意識で
日常的に行っている…ということにも気づきました。

人の性格がどうとか、そういうこともありますが
そういったことよりも

「この人と、この人の関係性」とか
「あの人のことを、この人たちはこう思っている…」
みたいな相関図が、すぐに頭に浮かびます。

勝手に浮かんでいるので(黙ってはいますが)
勝手な偏見を、勝手にもってしまっている状況です。
ある意味、強みです。

こうやって考えていると
私は、感覚がメインなんだな、ということにも気づきました。

類似点を見てみると・・・

フレームワークがあると、構造がわかりやすく
物ごとを理解しやすいので
自分の生き方のモデルとなるような人を
いつも探していた、と思います。
自分のいきたい道を、少し先に行っている人を
ずっと探していました。

私のモデルとなる人がおられたら
フレームワークのヒントとして、とてもありがたいのですが…
ま、自分の道は自分で探さないと
自分の道は、見つからないですね。

類似点と言うよりは、ほぼほぼそのままなのですが

コツコツやることと
時間割引率の共通点を感じることで

若干ですが
いろいろな習いごとを子どもの頃、私にさせていた
親に対しての思いが、少しまろやかになりました。

「習い事はまずは3年
そして10年は続けなさい、細く長くでいいから…」
と言われていたので
年単位でコツコツやることが染みついています。

小学生の子どもにとって、10年なんて
エンドレスのようなイメージ、しかなくて
やらされていた立場からすれば
当時は、絶望的な苦痛でしかなかったです。

でも、コツコツの意味、意図するところについて
今なら理解できます。
続けることだけで、それなりのモノになる。
続けることの強みは、時間割引率だったんだな、と。
一応、フレームワークかな。

なので、私の根本には
良くも悪くも、たとえ日の目を見なくても
年単位で、コツコツとやり続ける(続けてしまう)
癖がついてしまっています。

昔の人の考え方をフレームワークとして活用していた・・・

私は、易経が好きで
勉強、というほどはやっていないですが
ちょこちょこ読んでいます。

歴史という言葉から…

人のやっていること、考え方のフレームワーク
易経もそうなのかなと思いました。
(占いではないです)

易経は、古代中国のものですが
物ごとの原理のようなものを説いていて
ちょっと哲学チックに見えますが
フレームワークだなと思いました。

人の考えることや、行動の基本って
昔から変わっていないんだろうな、と想像します。
フレームワークだから、時代がこんなに変わっても
読み継がれているんだろうなと思います。
(解釈は時代によって変わっているかも知れないけれど)
その、人の変わらないフレームワークを説いている
易経が私は好きなんだと思いました。
ちょっと、哲学的なフレームワークになりますが。

構造を知ることと関係性を知ること

やっぱり、私の頭の中では
フレームワークと、全体像の見通しとが
ごちゃ混ぜになっていました。

私がわかりやすい、と思っていたのは
最後までの見通しが、見えることで
それが、構造も含まれていることもあれば
単なる「ながれ」だけのこともありました。

構造と関係性。
どちらかと言うと、関係性を見ることができれば
わかりやすいと感じました。

と言うのも、構造と言うと
「構造化」というイメージが強くて
形あるモノに想像がいきがちなので
関係性という言葉が、私にはしっくりくると思いました。
これは、私の思考の問題です。

自分が詳しい分野について
漠然と知っていたことの、構造や関係性が
改めてわかって、ハッとすることもあるし

まったく知らない分野の関係性を聞いて
「なるほど~」とニヤッとすることもあるし
とにかく、構造や関係性を知ることは
いわゆる裏側を知った感じで(全然裏側ではないのですが)
ちょっと、ツーになった気もします。

そして、関係性や構造を説明してもらうと
自分も賢くなった気がします。
構造を知っている人って、賢そうです。

なんの話か、わからなくなってきましたが
今、文章を書きながら、
私は、関係性や構造を知ることが好きなんだ…
ということが、よくわかりました。

フレームワーク 構造を見抜いていく

今まで、私の中では
全体像がわかると、今どこにいるのかが分かって
何でも分かりやすくなるとは、感じていました。

人の話を聴く時でも、何かの勉強をする時でも
仕事で作業をする時でも
全体像の見通しがあった方が、私は分かりやすかったです。

私が思っていた全体像は、見通しや、ながれ的なものも
含まれていて、構造が入っていないも時もあるので
フレームワークとは
若干、違うようにも感じますが
何にでも、構造があるのだということを
意識するきっかけになると思います。

だいたい、新しいものに出会ったときに
私は、今までの経験から
どのパターンに当てはまるのかな、とか
カテゴリーに分けて考える癖があります。
これは、構造を見るというよりも
もっとバクッとした雰囲気(言語化できていない部分で感じるところ)
も含めてです。

ただ、パターン化してピッタリと当てはまる時と
雰囲気でパターン化してしまって
見誤る時とがあるので
すべてが、私の経験の中にあると思うのはダメだな、とも
思っています。
これはパターン化のことです。

でも、フレームワークで観ることは
本質を観ることだと思っているので
先週あった「どこが幹でどこが枝葉か」
ということに繋がっているので
私も、一番つけたい力です。

私は本質、本質と思っていましたが
本質というと、少し抽象的なイメージで
ちょっと、伝わりにくいところがあります。

でも、フレームワーク言葉からは
構造ということをイメージしやすく、分かりやすいと思うので
今まで、本質を見抜くみたいに意気込んでいたところを
構造を見抜く、と置き換えて考えていきたいと思います。

話は変わりますが
「果ての国」はジワジワと私の心の中で動いています。
書きたいことがたくさんありますが
またの機会にとっておきます。