「ジョハリの窓」を知って…

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二枚舌の自己開示だったかも。

ジョハリの窓」を知って
また、私の本質的なところに、一石投じられた気がしました。

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すぐには答えが出ることではないと思いますが

私は、職場でも、プライベートでも、それなりの自己開示をしてだけど
そもそも、家と外との性格が違うことが前提にあった…。

だから、職場で一定の自己開示ができているのは

職場で必要とされる私の自己開示。
職場で、私に求めれている人格があって
それを自分なりにカスタマイズされている、程度のものでした。

仕事に関して、求められる振る舞いをしながら
自分のキャラクターを出すくらいのイメージで
そのキャラクターの中に、本音を散りばめる感じです。

自分の役割を、立ち回っている感じで

その中での自己開示で。

あんまり考えると崩壊しそうなんで
とりあえず、ま、いいか。(と思うことにする)

無意識の力も借りながら、ボチボチ考えてみようと。

じゃあ、家庭では「解放の窓」が広いかと言うと
ありのままに振る舞っても、自分を受容してくれる環境はあるけれど

仕事帰りの家事について

いつまでたっても揉めてしまうのは、なんでしょうか?
頭が追いつきません。これも、ちょっと考えてみようと思いました。

働き出して、お互いがいいように少しずつ改善されてきたけれど…
ゼロにはならない。
定期的に、お互いが、いっぱいいっぱいになって揉めてしまう。
結局、お互いが「処理しきれない」と素直に伝えることができていないのですね。

そして、盲点の窓も大きそうな気がしました。
(今日は、そこまで頭が回りませんでしたが)

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不完全とちゃんとすることと

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私は、きちんとしたいという完璧主義でした。

相手には、押し付けないので
表面的にはあまり、そういう風には見えないですが。

学校で勉強して、いい学校へ行って、いい大学へ行って
いい会社に入っていれば、いい人と結婚できて
幸せになれると、思い込んでいました。
ウソみたいですが、心から信じていたようです。

完璧に生きていれば、幸せになれると思っていました。
20代でもそれを信じていたというか
思い込みというか、刷り込みというか
ふと、幸せといい会社とは関係ないのではと思えたのは
29歳の頃でした。

結婚して、そこから、少しずつ自分の中で変化が出てくるのですが

それでも、大企業に勤めている人を見たり
また、そういう人と結婚した知人を見て
どこか安心感に、やっぱり羨ましく思ったり
ホント少し進んで、やっぱり戻ってみたいな時期もありました。

でも、それは自分の中での葛藤だったんです。

息子が産まれると、息子は自分の分身のように思い込んでいて
私が完璧に生きてこられなかった部分を、完璧にしたいという思いからか
「ちゃんと」させようとしました。

クラスでもちゃんと、勉強もスポーツもちゃんと。
息子に掛ける言葉は、ダメ出しだけ。

私の中では「ちゃんと」させるには
ダメなところを、直さないといけなかったからです。

その子の個性なんて、考えていなくて
凸凹をなくしたい。すべてを満遍なくできる普通の子に。
欲を言うと、できる子に。
だってそれが、息子のタメなんだからと。
まさに、あなたのためを思って。

どこか違う…と感じながらも
私が母にしてもらった事を、さらにエスカレートさせてやっていました。

自分の親しかモデルを知らない、私のような母親は
それが、おかしいと感じながらも、日々の生活に追われて
それ以外の、やり方がわからない。
だから、違和感を持ちながらも、続けてしまう…
断ち切ることが難しい、連鎖を感じました。

でもでも、やっぱり違うと思って
でもでも、子育ては毎日進んでいて

とすごく困りながら
いろいろな本を読んで、著者の方の講演を聞きに行って、手をあげて質問して
(よくやったよな、と思います。今の方が緊張する。それほど必死だったんだな…)

…少しずつ、私が変わってきました。

結局、私が評価を恐れていたんですね。

母から何て言われるだろう?って
いつも、どこかにありました。

書ききれないことも、たくさんありますが
その頃の私の中には、アサーティブのかけらもなかった。

小さい頃に、そんな育て方をした子供がどうなるかに、とても不安に思っていますが
とにかく思った時からやり直しができる、と言う言葉を信じてやるしか、私にはないです。

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「察してちゃん」的思考 

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嫌われる勇気を持つ。まさに私の核だと思いました。

「嫌われる勇気」
結局、これなんですね。
以前に、本を読んだ気がします。 
言葉も何度も聞いているし、また知っている気になっていました。

昨日の投稿での
自分の意見を言うこと。
大きなものごとや権利に対しては、言えるけれど
そうでもない、小さなところには目をつむっている。

「どこかで、誰かが見ていてくれているだろう…」
なんて思っているところが、無いとは言い切れない。

昔よりは、随分言えるようになってはきましたが
確かに、まだどこか「察してちゃん的思考」です。


小学生の頃に、友達から言われたこと。

「悪くないのに、なんで、いつも「ごめん」って謝るの?」

何かモノを頼んだ時に、相手が受けてくれたら
「ごめんな」と言うなどなど…。

謝っているつもりはないけれど
小学3年生の私が考えて,人間関係を円滑に回すのに
「ごめんな」は最適な言葉、だったんでしょうね。

その言葉をかけられた時に、私自身も「何でかな?」と考えて
私はクラスの誰からも嫌われたくない、クラスの全員から好かれたい
と思っていたことに気づきました。
これは友達にはいいませんでした。(変わった小学生でした)

その頃の私って、感情を出さずに、表面的に生きてる子だったと思っています。
大人からの評価は、大人しく、しっかりした、いい感じの子でした。

だから、大人になった、今の方が自分を出せていて
ある意味、子どもみたいな生き方をしているな、と感じます。

本当はそういう生き方に、憧れていたこともあってか
今思ってみると、女友達はだいたいが、はっきりとモノを言うタイプです。
私よりも「察してちゃん」傾向の強い人は
友達にはいませんね。

この思考に「察してちゃん」と名付けてもらえたことで
随分、解決に近づきました。
行為に名前がつくと、自分に対して見える化できて
意識の度合いがまったく変わってくるし、冗談でも使えるし。
また、徐々に私が変化していける、と思いました。

あと、ちょうど今日、香田有絵さんの本を読みました。 
今の思考にぴったりで
自己主張と自由とが両立していて、精神的に自立している
フランス人の生き方って、とても魅力的に感じました。

 
 

心の中までできているのか…アサーティブコミュニケーション

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アサーティブが慣れていない人と、絡むことが多いのですが 

私は、どこかアサーティブであることと
自己犠牲を、自分にしいていることを
イコールに感じているところがあると、気づきました。

ただ、自分の権利を自分で守るという
大きなところは、できていると思いますが
小さなところには、ほとんど目をつむっている…
目をつむっていると感じている自体が
させられている感が、自分の中にあると思いました。

アサーティブでない人と、コミュニケーションをしていると
本当に、つらくなります。
自己犠牲的な捉えが、あるんだと思います。

今週は、たまたまそう言った人に関わることが多くて
「悪いのは相手」
という、長年かかって刷り込まれている思いを
どうしたものかと感じながら
少しずつ、言葉を置き換えながら
話しています。

アサーティブコミュニケーションって
表面的にできているようでも
心の中で、できていなければ、できていないんですね。
当たり前ですが、私とってはとても難しい。

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事実の見え方 共有認識

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私が以前、仕事内容で困っていたときに 

相談した人に、教えてもらっていたことが 

現状を共有するところから、まず始めることが大切だと 

教えてもらいました。同じですね。 

相手には、相手の言い分があって 

こちらには、こちらの言い分があるので 

それは置いておいて、現状を共有すると。 

まず、共有して、ゴールを共有するということ。 

根深くなっているような、長年の問題は 

だいたい見た目は、複雑だけど 

本当に事実の認識、そもそもそこが異なっているという 

基本的なことに問題があると、その時によく分かりました。 

そして、最初の現状の把握を一緒にできれば 

その後は、ずいぶん見えてくるとわかりました。 

最近、私の周りで起こる問題について、気づいてきたことは 

いろいろ問題はあるんだけれど 

ほとんどの問題は、その本質的な問題ではなくて 

人に対する思いが根元にあって、掘り下げていくと 

「あの人は嫌い」的なものが、核として現れてくるように感じています。 

いい大人が、本当に恥ずかしい話ですが 

「好き嫌い」が仕事に関わって、揉めている元をつくっていること 

本当に多いです。 

もちろん、表面的には、きちんとした立派な問題として上がってきます。 

だから、厄介なんですね。 

でも、たぶん 

初めは、それぞれの認知のひずみが元となって 

事実の共有が、きちんとできていないところから始まって 

絡みに絡みまくって、いるんだろうなと感じています。 

クレーム処理などの対応でもよく聞きますが 

最初の対応が悪いことが 

その後の大きな問題へと、つながるというようなこと。 

それは、アサーティブなコミュニケーションが足りず 

事実の共通認識ができなかったことから、きていると言うことなんですね。 

あと、年齢や立場の違いで 

見える景色がまったく違うということ 

よく分かります。 

残念だと思うことがあるのは 

若い人は、優しい人をいい人と認識していることが多くて 

それは、自由なんですが 

若い人の評価が高い人が私たち年配から見ると 

「…?」と思えることがあります。 

それほど、同じモノを見ていても 

それぞれの感じ方は異なるのは

自分が、何を最優先に考えているかの違いかな、と思います。

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はだかの王様にはならないように…

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面従腹背という言葉は知りませんでしたが 

私はよく「はだかの王様」と言っています。

上司の考え方で、その組織の基準が出来てきます。
「ハイかYesか」しかないような中で
気がつかない間に
はだかの王様になっている人を、見ることが何度かありました。
恥ずかしいので、どんな立場でも
はだかの王様にはならないように、したいと思っています。

昭和の時代には、そういったことが普通だったのかも知れないですが
今の時代が変化していることを、更新できずにいる人は
本当に、気の毒に思います。

組織の中に、心理的安定がなければ
本当に力が発揮できないと、私も感じています。
スタンドプレーではなくて、表面的ではなくて
傾聴して、腹割って、一緒に一つの目標に向かってやっていくような
仕事をやっていきたいですね。

また、病んでるような話ですが
心理的安定を考えた時に
ふと、思い浮かんだことは
私は、小さな頃から家を出たいと思っていたことです。

やっぱり、心のどこかで
当時の家庭が、心理的に安定した

安全基地ではなかったのかも知れない
と思いました。

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アサーティブの四本柱を誦じられるように

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 今まで、いろいろな本を読む中で 

アサーティブが出てきた程度でしたが
何となく、分かっているような気持ちになっていました。

アサーティブコミュニケーションの四本柱

・誠実
・対等
・率直
・自己責任

「誠実」というところで、思い当たったことは

私は、営業の電話がかかってくると
淡々と必要ない旨をお伝えして、切ります。

話を延ばそうとしても、一方的に話を終わらせて切ります。
それが誠実だと思っています。

私が営業職をしていた時

新人は電話外交と言う新規開拓を、1日100件は電話していました。

毎日電話して
100件に1件くらいは、話を聴いてくれる人がいて
何ヶ月かかけてそのうちのほんの少しに、お会いすることができて
その中から新規顧客と、なることがあります。
電話外交から、顧客となることは
本当に希です。

だから、電話口で話を聴いてくれた人は
とりあえず「見込み客」に入ります。
「見込み客」にもいろいろなランクがありますが
「見込み客」には、間をおきながらも
再度の電話をしながら
信頼関係をつくるように、していきます。

ま、それは営業側の手の内なんですが
何ヶ月かかけて、商品のお話しも聞いてもらえたし
やっと、信頼も築けたなんて安易に思って
商品を少し押してみた、最終段階になって
初めて、購入できないという理由を話してくれる人がいました。

でも、若かった私からすれば

「じゃあ、なんで話聞いてくれたん…」 


と、すごくがっかりした覚えがありました。
それが営業なので、その人の対応には全然問題はないのです。

「断ったら、悪いし… 話だけは聴いてあげよう」
と思ってくれる方がおられるから
話を聞くうちに、やっぱり良いモノだと感じて
そういう方、顧客になることがあるのも事実ですが…。

私には、そういった流されるような部分が、まったくないので
そんな思わせぶりな返事は、絶対にしないでおこうと思っています。
もし、買いたいときには、こちらからコンタクトを取ります。
めちゃくちゃ偶然にも、迷っているモノの電話がかかってくれば
聞くことがあるかも知れませんが。

だから、電話口では嫌な人みたいですが、淡々と断っています。
その代わりに、ちゃんと相手に意図は伝わって
二度と電話がかかってくることはありません。

お互いに、その方がいいと思っています。
私は誠実と聞いた時に、営業時代のことが思い浮かびました。

あと、対等について思い出したこと。
「今は、上司があまり言うとパワハラになるから言えない」
と言っている上司がいて、難しい時代だなと感じていましたが

対等というのは
そういったポジショナルパワーは、別として考えるというところが
目から鱗でした。

私はアサーティブをかじっていただけで
「知ったか」していたようです。
まだまだ、たくさん知らないことがありそうです。

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