嬉しいと、心が温まる

昔ばなしに出てくる、いいおじいさんや
仙人のように悟りを開いたような人は
西洋でも東洋でも
だいたい寛大でやさしく表現されていると思います。

人間にとって、人にやさしくすることが
自分にとっても、相手にとってもいいことだ…と
昔むかしから、気づいてきて
教訓のようになっているんだろうな、と思いました。

私も歳をとって、丸くなったところもあるので
いろいろな経験をして
歳とともに、だんだんやさしくなってくるように思います。

高校生くらいまでは
道徳的なことに対して、従順だったのですが

恥ずかしい話ですが
大学生の頃はひどくて、電車でも座りたかったし
いつも眠たくて、電車で寝てることが多くて
ちょっと起きた時にお年寄りが見えても
そのまま寝ていました。ひどいです。
自分が得なことをする、みたいなところがありました。

それは歳をとって、変わってきました。

誰でもだと思うのですが、知らない人にやさしくされると
本当に嬉しいというか、心が温かくなります。

学生の時に、駅の駐輪場を利用しようと思っていたのですが
財布を忘れてしまって
(定期券は持っていたので、学校には行ける…
でも、家に帰っていたら遅れてしまう…)と思っていたら

たまたま、駐輪場を利用していた知らないおばさんが
たぶん、私の独り言が聞こえたのだと思うんですが

「どうぞ、使って」

と言って当時の駐輪場代100円を貸してくれました。
でも、知らない人だったので、戸惑っていると
「また、次に困っている人がいたらその人に返してあげて」と。
さらっと、そんな言葉を残して
私の分まで払ってくれました。

知らない人にやさしくされると
本当に、涙が出るくらい嬉しい。
人ってまだまだ捨てたもんじゃないなって思います。

それからは、いつか、そんなことがあったら
誰かのために、そんなことやってみたいと思っています。

人にやさしくするとは…

若いころは「断ることは優しくない」
と認識していたようで、断るのが苦手でした。
別に、やさしくなりたかったわけでもないのですが
なんでしょうね…

少し、できるようになって
自分にできる範囲で、相手を助けるように
もう少し詳しく言えば、その時を助けるのではなく
自分でできるように支援する、感じになってきました。
(でも、相手の抵抗があることも多いです)

以前、攻撃性のある女性が、職場にいた時に
友人は「でも、仲いい人にはやさしいやろ?」
と言いました。

そうなんです。
私にはやさしいですが、それは私には違和感でしかなく
付き合うには、モヤモヤしてしまって(出しませんが)
嫌な感じがしていました。

友人は、「仲のいい人にはやさしい」と受け止めて
その人と付き合える。
私は、モヤッとしてしまう。

人それぞれだな、と思いました。

困っている人、誰にでも
手を差し伸べられるやさしさは
転勤当初には、よくわかります。

知らない私にでも、やさしくしてくれる人は
大切だと思っています。

そして、少し経って年齢や役職がわかってくると
周りには、表面的なやさしさが増えてくるので
だんだんと、見分けられなくなって
私は、ホンモノが分からなくなってきてしまいます。

私はアドバイスは、基本的に求められればしますが
困り感がなければ、言う意味がないので
困っていない人には、わざわざアドバイスはしないです。

ただ「困っている、困っている」と言いながら
そういう自分が好きな人もいるので
そんな人には、一度私の思う方向性を示してそれだけです。
(話を聴いてほしいのなら、聴きますが
アドバイスをすると「でも、でも」となるので苦手です)

話は変わりますが
たまに「誰も声かけてあげないのかな…?」
と、すごく驚くことがあります。

一度外したマスクを着け間違えて
裏返しでしていて、表にファンデーションがついていたり
洋服の背中から、タグが上向きに出ていたり
ニットを着ている人をよく見ると、ニット自体が裏返しだったり
(これは分かりにくかった)
式に出る前、スーツの襟が曲がっていたり…

(今日、私に会うまで誰も言ってあげなかったの?)
なんで?なんで?って感じです。
すごく不思議で、ちょっと悲しくなります。
私なら、すぐに言ってほしいです。
だから、職場内なら知らない人にでも
1秒でも早く言います。(そっと言います)
言いにくいのかな。

無意識がにじみ出す・・・

昨日、バス座席を譲る話の投稿をしましたが
「座る、立つという動作がしんどいのかも…」
とコメントをいただいて

なるほど、確かにそういわれればバスの座席は
個別のシートになっているところが多くて
少し座りづらく、立てても出にくい感じだ
と感じました。

だから、バスの優先座席は横すわりのシートなんだ…
(これは私の地域だけかも知れないですが)
と、納得できました。
何気なく目にしていたバスの座席にも
やさしさがあったんだ…と気づきました。

ずいぶん昔ですが、長男を出産して退院時に
薬だったか、清算だったかを待つために
長男を抱っこした私と
私の母親と一緒に、病院の待合で座っていました。

総合病院だったので
たまたま、隣にお年寄りが座っておられて
そのお年寄りに
「おばあちゃん、薬待ってるんですか?」
と急に話しかけました。

私は聞いていて、嫌な感じがしました。
(引いていました…)
相手の方も、特に大きな反応はせず
あしらっておられるように見えました。
(正解だと思います)

知らない人に、いきなり話しかけることや
知らない人を、いきなり「おばあちゃん」と呼ぶこと。
私には、それがすごく下に見た感じに聞こえたからです。

母は、当時50代でボランティアをしていたように覚えていますが
こんな光景を、目の当たりにして
なんとも、心が痛くなりました。

そういう対応に、ならないように
(と言うのもまた複雑な感じですが)
マウンティングや、クソバイスには
すごく気を付けていますが…。

見えないやさしさ、慮ること

私は、土日の公共交通機関では
「座らない」と決めていました。

きっかけとなった出来事は
一度は、バスでおじいさんに見える人が
ヨボヨボと乗ってきたので
「どうぞ」と言ったのですが
「すぐですから、いいです」と言われて座席に戻りました。
断られたことに対しては、全然、気にしないです。

また、次にお年寄りと思われる方が乗ってこられたので
「どうぞ」と言いました。
「大丈夫です」と言われて、また戻りました。
別にいいのですが…

また次に、おじいさんが乗ってきて
(次の人は座りたいかも知れないし…)と思ったのですが

やっぱり(と言うか)
「どうぞ」「いいです」となって
さすがに、同じバス内で3回断られると
ショックでは、ないのですが

初めから、声かけなかった方がよかったのかな‥
いや、それは自分が嫌だし…
といろいろ考えて、どちらかと言うと反省をして

それからは、いろいろがちょっと面倒くさくなって
土日の公共交通機関では
「座席に座らない」と決めました。

でも、コロナが流行ってからは
電車やバスが、ガラガラに空いていることが多かったので
少し座るようになりましたが。

席を譲る行動は、自己満足でやっていることなので
相手の反応として、何がかえってきても仕方がないと思っているので
相手に対してや、自分がしたことに対しての後悔はないですが
人が何をしてほしいと思っているのかは
なかなか、分からないものだな、と思います。

逆の立場からの話を聴いたことがあります。
同年代の全盲の知人と
初めて、居酒屋で食事の席に同席した時のことです。

見ていると
友人は、次々と運ばれてくる料理を簡単に説明して
醤油は、この位置、お箸、箸置き、ビールの入ったコップと
さらっと説明し
それを「ふんふん」と聞いている感じでした。

新たな食べ物が運ばれてきた時
友人がいなかったので、私が伝えると
(オドオドしていたんだと思いますが)
「そんなに気を使わなくても大丈夫ですよ」と言ってくれました。

私の緊張が伝わってしまいました。

そこからは、いろいろな話をして
すごく初心者みたいな話だけど
街で、視覚障害の方を見かけたりした時に
私たちはどんな風に接したらいいんしょうか…と尋ねました。

「困っていなかったら、何もしなくてもいいです。」

当たり前のことですよね、バカな質問をしたものです。
「でも」と言って続けてくれた内容は

「駅などで、声をかけてくれる人がいるんだけれど
そんな時には、ありがたくホームまで送ってもらったりします」
「もし、そこで自分が断ってしまうと
その経験から、他の視覚障害の方が困っている時に
声をかけないかも知れないから…」

というようなことでした。

その知人は、毎日私鉄を乗り継ぎ、最後にはバスに乗って
何年も、通勤をしているので
駅で困ることは、まずないんです。

人が何をしてほしいかは
言わないと、伝わらないものだけど

見えないところで
まだ見えない相手を慮ることって
世の中にはたくさんあるんだろうな
とその時、感じました。

私のやさしさとは、私がしてほしかったことをすること・・・

今まで、いろいろな場面で
「やさしさ」という言葉で引っかかることが
何度もありました。
やさしさと考えていること、そこからの行動って
人それぞれだな、と本当に感じています。

本当に「やさしさ」ってなんでしょうね…
それぞれの思っているやさしさは、異なるので
すごく、冷淡な人のように思われることもあります。

今までの経験から言うと
身内や本当に育ってほしいと思う人には
やさしさをもって厳しくなる傾向があります。

ただ、それは相手に伝わったり伝わらなかったりします。
相手が、私と同様のやさしさを共有している人なら
問題ないですが
そうでないと思われる人には、分かりやすく
「あなたのことを嫌いだから、言っているのではない」と
ストレートな言葉で言います。

そうしないと
大人でも、嫌われていていじめられている…
と感じる人も、本当にいるからです。
でも、言葉でハッキリと伝えると
安心してアドバイスを聴ける態度になります。

やっぱり、私がやさしさだと思っていることは
注釈がなければ、なかなか伝わりにくいんだな…
と思うことがあります。

自分の息子や、ちゃんと育ってほしいと思う若い人には
先のことを考えて、厳しくて、少しきついかなと思うことでも
はっきりと言います。

それは、その人たちのことを真剣に考えているからだと思います。
でも、本当にあまり関係のない人や
なにかアドバイスをしても「でも…」と続けてくる人には
それほど、きついことは言いません。

当の本人たちが
どちらがいいと思うかは、わからないですが
私は、厳しさもやさしさだと思っています。

でも、私は単に厳しくしているのではなくて
私がしてほしかったことを、しているので
真剣に自分のことを考えてくれることが
やさしさだと思っているんだと思います。