快楽の幸せでなく、欲求充足の幸せを得る

「頭を鍛える」と聞くと
すごく、ストイックに辛いことをしないといけないような
イメージがありましたが
そうじゃなくて、その先に幸せがあると考えると
とても進めやすいです。

「快楽の幸せでなくて、充足の幸せを得る」
これがすべてだ、と感じました。

自分の欲求充足が、できているかどうかと言うことは
それに向けての、段取りやステップ
自分のコントロールをしていくことでもあるし
自分自身の、今の状況を把握できているのか
と言うことにもつながっているんだと思いました。

先日、職場の違う友人との飲み会。
私は車で参加したので、呑みませんでした。

飲み会では
普段のストレスを呑んで発散しているだけで
アドバイスを求められているわけでもないので
それはそれとして、日常の仕事の大変さを
聴かせてもらいました。

愚痴はいいんだけど、その後どうしたいのか
嫌なことがなくなったら、幸せなのか…
欲求充足は?と
個人的には、そんな疑問が浮かびました。

いろいろ書いていますが、久しぶりに会えた友人との飲み会は

もちろん、とても楽しかったです。

今までは、平日の飲み会へ職場から車で行くのは
街中に車で行くのが、面倒だったので
本当は、公共交通機関で行きたいのに
仕方なしに、車で行っている感覚と
呑めないことへの、残念な気持ちがありました。

でも、呑まないのなら、車での参加は
お酒をすすめられた時に、すごく納得してもらいやすくて
逆に、有効だな、と思いました。

補聴器に興味。

以前にも投稿しましたが

50代になって、生活にはまったく支障はないですが
小さな声で話す、特に男性の声は聴こえにくいと感じます。

声の小さな人って、そもそもおしゃべりでもないので
何度も聞き返すのも、気が引けてしまって

特に、重要でなければ
わかった風に、相槌を打ってしまうこともありますが
なんか、そこで信頼関係が崩れる第一歩だなと思っていました。

とても素敵な若々しい60代後半の女性が
自分のためにお金を使う、ということで
性能の良い補聴器を使っていることを知って
いいな、と思っていました。

そう見えない人が、使っているというところと
本当に生活に困ってからではなくて、生活を豊かにする感じにも
憧れていました。

もし、補聴器をつけていても
私自身は、まったく格好悪いとは思わないので
いつから使うのかは検討ですが(生活自体には支障がないので)
すごく、興味がわいています。

そして、スマホと連動するのなら
移動時間や空き時間に、オーディブル等を聴いている私にとっては
そろそろ考える時期なのか、とも思いました。

ネットでちょっと見てみるだけでも
すごくたくさんあるんですね。それもつけていることがわからない…

ちょっとリサーチして
実際、どのくらい違うのか、試してみます。
試してみると、また違う情報がありそうなので
楽しみです。

経験を直感につなげる

公私ともに、なんか
いろいろ忙しくなってきました。

忙しくなってくると、ついつい
自分のことを、後回しにしてしまう癖があります。
自分が、我慢してしまうんですね。

そこに気づけるもの、歳のおかげですが
今回は、自分を優先しながら
これまでの経験を直感につなげて
この忙しさをクリアしていきたいと思っています。

お稽古ごとを思い返してみると…

子どもの頃の話ですが
お家で、お稽古ごとを教えておられる方は
かくしゃくとしているイメージです。

ピアノやフルート、声楽、お習字、そろばん、お茶、お華。
皆さん女性でした。
そういう時代だったからか
女性の働き方って、そういうところにあったんですね。
結構、先進的な働き方だったのかも…
改めて、思いました。

当時、先生は、おばあさんのように見えましたが
5、60代だったかも知れないです。
その後も、ずっと続けておられていました。

これは、まさに脳活生活。死ぬまで現役。
脳活から考えると
昔の生活が、すごくいいものに見えました。

様々な知恵や、知識を身につけて
魔法使いのようなおばあさんに、なりたいと思いました。
お見本になるモデルが、ひとつ増えました。

私が、嫌な気持ちになった人のこと

最近は、あまり嫌だと思う人と
関わることはないですが
久しぶりに、嫌だなと感じる人と関わりました。

それは、時間が経つにつれて
じわっと来る感じで、だんだんとモヤモヤしていきました。
結局、私が違和感をもった、ということでした。

ちょうど昨日、マイクロカウンセリング技法の「対決(直面化)」
について投稿しました。
投稿したから、私が気になったのか
偶然、そんな人と関わったのかわからないですが
私がカウンセラーなら、この技法を使って
その奥底を、もっと掘り下げたいところです。

私が感じた、その違和感と言うのは
仕事を、精力的にやっているように見えるけれど
やり方を見ている(聞いている)と、形だけだと見える。

彼の対応は、すごく慇懃無礼なので
上司に対して何を思っているのか…。(ちょっと敵意?)

昇給したくないと言いながら
昇給に向けて、嫌々勉強をしている。

やっていることと、言っていることとの違和感や矛盾を
強く感じすぎてしまいまいした。
これは無意識に「違和感を感じてくれ」ということかも知れないです。

彼の行動と、無意識とが一致していなくて
混乱したメッセージになっているんだ、と考えました。

一見すると、できる人ですし
実際に、仕事もそれなりにはこなします。
(でも、そこに心があるかどうかは分からないけれど…)

彼に、資料などについて尋ねると
根拠は、示してくれますが
そういうことではなく、意見を聞きたいんですが
それが、伝わらない…か
伝わっているけれど、自分の意見としては
発信を、避けているようにも見えます。

自分を下に下に置く体裁で、上司と話を進めるけれど
だから、慇懃無礼な態度となっていると考えました。
(心の奥では、自分が正しいという軸をもってそう)

私の陳腐な、心理学的な目線でみても
しんどい生き方だな、と感じてしまいました。
勝手に、嫌な気持ちがした人のことを分析して
自分の気持ちに折り合いをつけました。

でも、私にも
思考の偏りや、人の好き嫌いの偏りがあるので
もっと、フラットに事実だけを受け止められたら
嫌な気持ちになることも、少なくなると思っています。
事実だけを受け止めて
わざわざ、嫌な人だと感じなくて済むと思います。
それと、私がその人の何を嫌なのか…

こういう時には、身体を動かすのが一番です。
今日は、新しいスクールの体験でした。
非日常が入るとドキドキして、ちょっとスッキリします。

見えているのは氷山の一角

私は、一人でコツコツやっていくことに慣れていて

だからと言って、人と繋がることが嫌ではなく
大好きなのですが、気質(?)として
一人で勝負をしてしまうことが、多いかと思います。

ずいぶん、人にリサーチしたり
頼ったり、できるようになってきましたが
それでも人に頼ることは、迷惑だろう、という思いが
まだ、私の中にあるようで
無意識に「人に迷惑をかけないでおこう」
と、一人で勝負していることがあります。

これは、少しずつ経験を積んでいくしかない
と思っています。

少し、話は変わりますが
今、キャリアコンサルタントの勉強をしているのですが
その中に「対決」というカウンセリング技法が出てきました。
言葉だけを聞くと、少し怖い感じがしますが

相手と、対決するのではなくて
その人の言っていることと、やっていること
話している内容と、その時の表情に矛盾があったり
つじつまが合わないような

本人の中から無意識で出ている、混乱したメッセージに
まず、カウンセラーが気づき
それを、本人に気づいてもらうという技法でした。

相手の言っていることと、行動が違うことには
よく気が付きますが
会話の中に、意外とたくさん散りばめられていることには
はじめて気づきました。

ロールプレイで自分自身が、口にしたことと
仮に、悩んでいることとの矛盾を指摘されました。
人って、日常の中にも小さな矛盾を発信していて
自分でも気づいていない。
自分でも、目から鱗という感覚でした。

選択理論心理学も、勉強しているところですが
それとまた違った、人の思考というか
何なんでしょう…
頭でわかっていることって、氷山の一角で
すごく面白い、と思いました。

今週は、何気ない人の言葉を聞き逃さないように
自分で、些細な矛盾を見つけられるようにと
思っているところです。

自制心で認知機能を守っていくのか…

「学歴社会」という言葉には耳馴染みがあって
偏差値で測られている、という感覚はありましたが
認知機能で階層化されている、という視点はなかったです。
どちらも、同じことのようですが
学校を出てからの社会生活の中での階層化というと
ちょっと、生活に根差していてドキッとしました。
(でも、体感して知っていたことです)
これが真実ですね。

私は、計算が苦手です。
簡単な計算くらいは、頭でやればできるんですが
もう、シャットアウトしています。
アレルギーみたいな反応です。
スーパーレジなどでも、頭はまったく使っていません。
でも、一応はこれは、良くないとは思っています。

逆に、状況の認識や問題解決的なモノは
歳とともに、どんどん身についているように感じます。
それも、認知機能に入っていて良かったと
ホッとしました。

21世紀の社会は、頭を使うことが重視される時代だから
認知が衰えると、生きづらくなるとは
言語化してもらって、よかった。

歳をとるとともに
子どもの頃よりも、何でも自分で決められることが増える分
認知機能の維持を、邪魔するものについては
自分で、自制しなければならない状況も多くるので
認知機能の維持に関しては、誰のせいにもできない
自分の責任なんだ…と感じました。
楽にできることに、流されそうになった時
楽に過ごすこと
それが、社会で悪いわけでもない状況の中で

年老いた時の、遠い自分のイメージを強くもって
自分で選択して、生きていくことが
すごく大切なんだ、と思いました。

わかっているようで
言われてみないと、わからない事って
まだまだあります。