戦うパワー

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夫が32,3歳の頃の話です。

夫は私よりも3歳年上ですが、おっとりしていて天然で、要領も悪くて、また3人兄弟の末っ子。

私とはまったく正反対な性格で

「いじめを感じない」

「受けているとは気づかない」人です。 

そんな偶然が続くはずのないトラブルが続いたり、

嫌な言葉を言われてイライラする夫を見て・・・。

よくよく、聴いてみるといじめかな、と。

集団ではなく、1人か2人だと思いました。

でも、いつも証拠もなくて。 

その当時、私は専業主婦だったので

とりあえず、あったことを毎日聴き

そこから私の思いつく対処方法を伝授し、様子を見ていました。

夫は、夜勤がある職だったのですが

「仮眠中に、しょうもない電話がかかってきて、寝られへんかった。」

とイライラしていたので、私は「しっぽ」をつかんだと思いました。

そして、今までの出来事を、上司に客観的に伝えるように言いました。 

上司への報告に、特定の人への感情が入らないようにと。

言い回しも、ずいぶんアドバイスもしました。 

報告が感情的な話のように捉えられると、お互い様みたいになってしまうので、それは困るので

「事実をお伝えして、そういうことが起こっている職場をどう思うのか」

という上司への投げかけにしました。

「眠中にかかってきた電話」が決定的だったので

その後、上司は事務所の人や、それを取り次いだ人や、仮眠室へ呼びに行った人にも裏を取ったようです。 

その本人は上司に呼び出され

「どんな仮眠中にかけるような電話はどんな内容だったのか、緊急性があったのか」と突っ込まれると、言い逃れはできなかったようで

それからはなくなったようです。

その後はあまり詳しくは知りません。

そして次の4月には、その部署から夫は異動になりました。

ただ、これは私がとても敏感に感じて、これはいじめだと思ったからそういう行動に(実質私が)出たのですが

夫自身は、いじめ対して戦うという前に、誰からのいじめかにも気づかないという、私にとっては、とても歯がゆいことになって、日々、何に対するものか分からない苛立ちが続いていたと思います。 

私が働き出してからは、夫の職場に関しては、まったくのノータッチですが、なんとかやっているようです。ほぼ母親ですね。

夫の実家は(端から見たら、私の実家の方がいろんな意味でよく見えると思いますが)心が許せる「ほっかほか家族」で

さらに末っ子なので、ほんとに周りに悪い人がいるなんていう考え方がないんですね。

羨ましいと思うところと、そうでないところが私の中にあります。

家族に何かあった時には助けてあげようと思いますが

息子たちには、夫からの鈍感力と私からの敏感に感じる心を持って、いい具合に育ってほしいと思っています。

ハイコンテクストな文化

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いじめ、というのは 

日本特有の、ハイコンテクストな文化から始まっている仲間はずれだ 

ということがよく分かってきました。

それに加えて 

「他人を落とすことによって自分を上げようとする行為」 

これは、サイコパスと同じ位置づけになってしまい 

違いが、私にとってはわかりにくいですが。

でも、とりあえずは物理的に 

遠ざかるようにしています。

はじめに言葉ありきだとは、思っているので 

「多様性」という言葉を 

まず、使うことが大切だと思いますが

実際は、本当に、これからだと感じています。

言葉のむつかしさ

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職場で、可愛がってもらっている後輩のようで、からかわれているような状況を見ることがありますが、私には、あまりいい感じに取れない時があります。

(こういったことは若い男性同士に多いので、ちょっと、私には分かりにくい分野でもあります。) 

「おもしろ」さと「からかい」とが表裏一体になっているところが、とても危ういです。

そういった時には、後で聞いてみるのですが

「えっ、そうですか?気にしてませんでした(笑)」

と言われる時もありますが

「わざわざフォローをありがとうございます」

と言われる時もあります。

そういった時には、少なからず、何らかの思いはあるのかなと思っています。

他人とのやり取りの中には、周りの人はなかなか入りにくくて、私もためらいます。

でも、私の基準で「言わないといけないな」と思う時には、冗談っぽく

「その言い方はあかんなぁ」とか

「そんな言い方されたら、嫌ですって言いや(笑)」と

あくまでも冗談っぽく、言います。 

そこでやめる人は、私の真意が分かっているので、自分でも悪いことと言っているという自覚が、少しでもあると思います。

また次に同じ事をしている人は、何にも考えずにやっているんだな、と思います。

とにかく、言われている人が真剣に「やめて」と言わなければならない場面を、なるべく作りたくないという思いが、私には強いです。

私の母も、差別的なものの考え方をとても強く持っていて、小さい頃から、そういったことを聞かされていました。

私がそこに染まらなかったことは不思議でしたが、それは「自分も下に見られていたことをしっかりと感じていたから」かも知れないと思いました。 

ですので、いつの間にか正義感が芽生え、小学校での道徳の時間がすごく好きな珍しい子どもでした。

今は職場で、気にならない人にまったく気にならない部分に対しても、勝手に正義感を燃やしています。

ただ、どこに差別的なものがあるかを感じることは、人それぞれに「常識」が違ってくるので、それを本当に分かってもらうのは難しいとも思っています。

私の周りには「弱者のために…」と熱心な活動をされている方々もおられます。それはそれで、とても素晴らしいことだと思っています。

ただ、その言葉自体にも「やっぱり弱者と思っているだ」と感じてしまうことがあります。それはまったく悪気もなく、そして、その弱者と思われる方々のために支援しておられるので、問題はないのですが、敏感すぎる私には、引っかかってしまう言葉です。 

言葉だけでないですが、態度や接し方などの細かな部分までは、そういったことが常識として社会に受け入れられるまでは、過渡期として、ある程度の妥協は必要なのかなと考えています。これはもう一段階進んだ後の話かもしれませんね。

なんか、このテーマは書き出すと止まらなくなってしまいました。

もしかしたら、私の核となる部分だったのかも知れないですね。 

不思議の正体

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今日は、今まで不思議に感じていた部分で自己覚知した部分があったので、ちょっと勇気をもって書いてみます。 

「自分はいじめられた経験がないのに、なぜここまで分かるのか」

それを、ずっと不思議にも思っていました。 

いろいろ考えている間に今日、マウンティングについて知り、腹落ちした気がしました。 

三世帯同居の家族の長女として育ちました。母はいつも私にライバル心を持っていたように感じていました。マウンティング、ヒエラルキー、そういった言葉がしっくりと当てはまりました。

母にそういった感覚は無いようですし、母もそうやって育ったのかも知れません。表にでるような嫌がらせをされたことはありませんし、躾の厳しい家だったと言えばそれまでですが、何に対しても出るダメだしや、周りの人への愚痴や陰口、小さい頃は、はしゃいでいたら最後にはしごを外されたような感覚が何度もあったように思います。いじめではないとは思っています。

ひとつひとつは、日々のほんの些細なことです。でも、その中で育った私は、表の悪者ではなくて、黒幕が誰なのかがだいたい分かるように思います。それは、いつも母は表に出ずに、ものごとをいいように動かしているのを、側で見ていたからだと思いました。  

小さい頃の事を思い返せば、自分でも「かわいそうに」と胸が痛くなることが多いですが、今はこんな力を培えた環境って、皮肉ですが、すごいと思います。 

昨日まで、育った環境に何かあるとは思っていましたが・・・複雑な気持ちもあります。 なんかモヤが晴れて、スッキリした思いもあります。

職場では、リーダーや管理職になる人の人間性ってとても重要になってくると考えています。

新入社員であれば、同僚や先輩が何か人間性に反することをしていたとしても、百歩譲って、放っておいてもいいと思います。

でも、それが、その場を管理する人であれば、一度目に注意しないといけないと思っています。一度目を見逃してしまうと、それは

「その場で認められたということ」

になってしまいますので、その感覚の蔓延を許してしまいます。

それが、ちょっとしたいじりや、悪口であっても「そういうことはダメ」と言わなければいけないと思っています。そんなことで、人の心の奥までは変わらないですが、少なくとも、まずは上司や先輩の顔を見て

「注意されるから…」

と、とりあえずは、その場でしなければいいと思います。消極的ですが、それがウイルスを活性化させない方法だと思っています。 

でも、残念ながらこれでは、小さな子どもと一緒ですね。 

潜在的に…

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小学6年生の頃の話です。 

その頃は「いじめ」という言葉はまだなかったので、仲間はずれという認識でしたが、後々、「いじめ」という言葉が出てきたときに、「あれはいじめだった」と思いました。

クラスへ来た転校生の女の子が、なかなかクラスに馴染めず、だんだんと女子に無視されて、男子にも無視されて、みんなに陰口を言われるようになりました。

でもその女の子は、大人しい子だったので、その子の性格がどうこうということではなく 、見た目がどうだとか、そういったことを言っていて、みんながその子を露骨に避けるようになりました。クラスのほぼ全員から避けられていました。

私はその子を見て逃げたり、避けたりしていなかったのですが、友だちになってもいませんでした。登校拒否(とその当時は言いました)になって、少しお休みもしていました。すると担任の先生が、私と友だちを呼び出し「仲良くしてあげて、友だちになってあげて」と先生に言われました。

私も大人しかったのですが、タイプが違って、嫌いとかではなかったですが、特に共通点や話題もなく

「友だちって難しいな」

と思いました。 

でも、小6なりに考えて 

とりあえず、友だちと3人で交換日記をしました。ただ、初めから仲良かったわけでもないので、形だけだったと思います。

小6の私にとっては、形だけっていうのが、どうしても納得いかなかったです。 

結局、小6の私が、一番引っかかったのは

「友だちになってあげて、と先生に言われても友だちってなれるもんじゃないよ」という思いでした。

今思うと、たぶん先生は

「休み時間を一緒に過ごしてあげてほしい」

と言うようなことをいいたかったのだろうと思いますが、友だちって…。 

当時の私にとっては、仲のいい人のことで「そんなの急に難しい…」と思っていました。

その後は、卒業まで交換日記はしていました。いろいろあって学級会とかあったようにも思いますが、クラスで解決はしていなかったと思います。当時の私には、先生に対する不信感が一番大きかったです。それは、すべてを丸投げしてこられた感が強かったからです。

でも、先生も必死で、最善を尽くしていたと考えると 

今でも

「小6だった私の取るべき正解の行動って、何だったんだろう」

って自問自答します。

歳とって今は、お節介な部分が出てきて、そういった人がいると、積極的に話しかけたりしますが

「それは、潜在的に小学生の時の体験が関係しているのか・・・?」 

自分ではわからないです。

ただ、何がどう関係して、今の私ができあがっているかは、わからないですが

アニメの小公女など(後で報われると分かっていても) 

いじめられるシーンはとても苦手で、いじめのニュースも見たり聞いたりするとしばらく、本当にしんどくなります。

最近、HSPだということも分かったのですが 

昔から、仲間はずれや意地悪、人の攻撃性については、とても敏感に察知してしまいます。 

だから、私はいじめに合ったりしませんが、無防備な人をみると助けたくなります。 

(小6の時はそんな風に思ってはなかったような、どう思っていたのかは思い出せないです)

でもそういう無防備な人をみると

「ほんわか家族で育っているんだ」

と考えてしまうところから、あんまり考えたくないですが、潜在的に家族が関係していると私自身が感じてるんだと思っています。

でも、これ以上は自分でもまだ怖くて考えたくない領域です