インプットとアウトプットを続けるしつこさ

この2年ほど
腹八分で、インプットとアウトプットを
しつこく続けています。

将来のため、自分のためと、理由はいろいろつけられますが
続けていて思うことは、なんか楽しい…
そんなところです。

もちろん、コメントをもらう楽しさもあるんですが
それ以外の楽しさ、心地よさが強いです。

以前は、インプットばっかりしていましたし
アウトプットの方法も、場所もありませんでした。

今では、SNSを使ってアウトプットもするようになって
さらに、読書などから、今まで以上に大量のインプットのある環境で
なんか、自分の中で回り始めた気がしています。

いろんな情報(情報というとちょっと固い感じですが)が
自分の中を回って、アウトプットされて…

例えるなら、体内の血の巡りが良くなった感覚があります。

刺激がたくさん入ってきて、それを受けて考えて
自分の考えを外に出す、そのくり返しです。

でも、しつこく続けているうちに
文章にしている考えが、口からも出るようになって
自分の言葉として出ている時に
自分でもその成長には、ちょっとした驚きがあります。

アウトプットして、書いていることで
自分の考えが、まとまっていっているようです。

だから、できるだけ
サポメや読書について、アウトプットして書くことを続けていくための
しつこさは、もっていて(続けるためのしつこさです)
申し訳ないですが、その精度は二の次です。
私の中では、日記だと思って書いています。

この心地よく回っている感じを、維持したい
今は、そんなところです。
その後、これがどこに向かっていくのかはわからないですが
とりあえず、手をつけたものが
生活の中で、心地よく回っています。

続けることだけが、しつこさではなくて

小さい頃から、続けることがいいことだ…
みたいに、育てられてたので
基本的には、年単位で耐えることに慣れてしまっていて
苦痛か、そうでないかが、自分でわかりにくいです。
そこは、すごく鈍感です。変です。

この辺り、私の課題です。
コツコツは、できるのですが
苦痛がわかりにくい…

「苦痛」「耐える」「乗り越える」の逆が
「甘える」「甘やかす」…みたいな感覚で
それは、ダメなことでした。

今でも、苦痛にはちょっと鈍感ですが
嫌なことは、やらないようにしています。
(言い方がちょっと短絡的な感じですが)

一応は、頭ではわかっているので
職場で、相談されたりすると
「変えてもいいよ」とか、「やめてもいいよ」
と人に言いながら
自分の中にも、少しずつ落ちていっているようです。

迷ったり、悩んでいる人に
そういう類のことを言うと
すごく、ビックリして(反論もありますが)
それから感謝されます。

やっぱり、変えたかったんですよね。
そんな立場なら、私も、言ってほしい言葉だし、
変えたらダメだと思っています。

そして、そういう反応を見て
自分の中にも、どんどん落ちていきます。

すごく頭が固かった私は、人に伝えながら
少しずつ、柔らかくなってきていると思います。
だから、職場で驚かれることが
面白くなってきています。
周りも、まだまだ頭が固いです。

私が言うのも、なんですが
私の周りも
しつこく続けることにだけ、目がいってしまっています…

しつこさもいろいろあって・・・

以前2カ月程、研究所にいたことがあるのですが
ある研究員の方は
バランスボールに座って机に向かっておられました。
その時、すごく合理的だな…と思いました。
ふと、思い出したことです。

しつこく続けていくには、PDCAを回していくことで
「しつこさ」のいいところが、出てくると思いますが
それは、分かっていながらも
自分の中では、ルーティーン化することで
安心したい部分があるな…と気づきました。

変化なく、同じことをしているのが
楽だな、と思うんだろうと。

ま、それも「しつこさ」なので
続けているだけでも
積みあがってくるものは、あると思いますが

欲を言えば、ルーティーン化してしまわないように
新鮮に、考えていたいです。

あと「できる範囲で」と言う言葉は
ここ2,3年で、私の好きな言葉に入っています。

「できる範囲」で、思い出しました。
昨年、資格試験を勉強している時

遠距離通勤だったのですが
渋滞を避けるあまり、職場に朝早くに着いていました。
朝、職場に着いてから時間があったので
最低でも10分間、過去問をするようにしました。

最初は、周りの目も気になりましたが
気にせず(少し隠れて)、月から金まで
7時半から8時の間で10分(以上)やりました。
結構、効果的だったと思います。
ちょこちょこやるのって、侮れないです。

メインは夜で、勉強はしていましたが
10分、15分の進度って、本当にバカにできなかったです。
時間のない人にとっては、とっても有効です。
思い起こせば、あの頃は
しつこさを、ギラギラさせていたと思います。

日々しつこく通勤経路をアップデートする

私が、日常の生活の中で
しつこさを、もっていること言えば…
「近道」、経路の短縮じゃないかな、と思います。

たとえば
昔から、電車やバスなどを乗り継ぐ時に
地下の、どこの通路を通っていったら
短縮されるのかを、無意識で探索していました。

今でも、勤務先までの車通勤で
行きは、失敗すると遅れてしまうのであまりしませんが
帰り道では、ちょっとずつ違った道を通っています。

でも、早くても細い道や通りにくい道は
事故のリスクが大きいので、結局は選ばないです。
通りやすさと、時間との塩梅っていう感じです。

毎年、夏休み頃になると
なぜだか、朝の交通量がグッと減ります。
(通学で子どもを送っている車が
この辺りでは多いんでしょうか
わかりません…)

だから、夏休みになったら
チャレンジしてみようと
春頃から、考えていました。

なので、今日は行きの道で冒険しました。
今の通勤は、高速で30分くらいです。
今日は、下道(抜け道)で全部行ってみました。

10分ほど遅かったですが
800円払って10分くらいなら
下道でもいいかな、と思いました。

職場についてから
抜け道は、夏休みが終わっても混まないのか
リサーチしてみると
普段から、抜け道は混まないとのことでした。

春に転勤してきたので
遅れたらダメだし…と思って、余裕もなかったので
行き道では、あまりチャレンジしてこなかったのですが
これは、朗報です。

以前の勤務先での高速代に比べたら、少なくなっているのですが
毎日800円って、なかなかです。
ETCの割引などがあるので
20日乗っていたら、50%は戻ってきますが
必要なければ、乗らない方がいいです。
嬉しいです。

しつこさを邪魔する変なプライド?

だいぶん前、フィットネスへ行っていたのですが
だいたい、デイタイムは老人が多かったです。

でも、まったく侮れませんでした。

エアロや、ステップのレッスンに入った時に
本当に、足腰の曲がったヨボヨボのおじいさんが
ステップ台を中心として、行ったり来たりしながら
とりあえず、リズムに合わせて動けている…

レッスンに、入ったところだった私は
右なのか、左なのか、クルッと回ると逆になるし
さっぱり、ついていけなかったです。

決して、美しくできていたわけではなかったのですが
理解して、身体がちゃんと動いていてすごい。
(他の人もできていますが
その人は本当にヨボヨボに見えていたので…)

きっと、毎日、それもすごく長い期間
やっていたのだろうな…と、その時に感じました。

「しつこさというのは
思考や行動をいかに目標に向かって発揮し続けるかという気力や体力だ」

何かを上手くなりたい、と思っても
周りに比べて、自分があまりにもできていなかったら
迷惑をかけていなくても
自分自身の気力が、もたないことがあります。

私の場合は
ほとんどは、変なプライドだと思いますが
それを失くしたら、もう少ししつこくできるかも…
と思います。

ストレングス回復思考のしつこさ

独身の頃「消防士の人と結婚がしたい」
という友人がいました。

消防士さんとの出会いを求めて
どこから、探してくるのか
消防士のコンパにばかり、行っていました。

確かに、消防士は頼もしくて、格好いいとは私も思いますが
職業から人を選ぶなんて…と
私は、ちょっと引いていました。

そして、何年か後に
彼女が消防士さんと結婚した、と聞きました。

そこまでいくと、さすがに私も「あっぱれ」と思いました。
すごいな…
私には、今までそこまでのしつこさを持って
人生に挑んだことって、何かあったかな
と考えてしました。

サポメの「しつこさ」からすると
少し、陳腐な話になってしまいましたが…

私は、コツコツはできるけど
しつこさ、は弱いような気がします。
どこかで、折り合いをつけていることが多いです。

また、これも独身の頃
一眼レフで写真を撮っていた時期がありました。

美術系の友だちは、本当にしつこかったです。
私には、ほとんど見た目変わらないし
「もう、いいやん」と思えるのですが

「神は細部に宿る」ではないですが
まさに、そんな感じで

しつこく、しつこく、やっていたことを思い出しました。
一歩も妥協したくない、という感じです。
私には、この感覚薄いな…。

でも、強いて言えば
私は、筋の通ってないことがあると
私の気持ちが悪いので
しつこく、しつこく、そのことを正そうとしてしまいます。

折り合いをつけているところも、多いのですが
自分の中で、線引きがあるようです。

これは、上司に対しても同じなので
それはそれは、面倒くさい部下だと思います。

私、ストレングスの1位が回復思考なので
そう言うことなのかな…と感じました。

「老後とピアノ」稲垣えみ子

とっても面白かったです。

あの時代(私たちが子どもだった頃、昭和40年代後半から昭和50年代辺り)に、ピアノをやっていた女子なら、共感できることが盛りだくさんでした。

当時、子どもの頃は、私もピアノは本当に楽しくなかった…。

でも、この本で、音符や記号の一つ一つに作曲家の思いがあることや、その素敵な曲を知ってもらうために披露することを知って、ピアノがすごく魅力的に見えてきました。

やっぱり、やらされているのではなく、自分から「やりたい!」と思って弾くのとでは、まったく向かうところが変わってくると感じました。

私もやってみようかな…なんてちょっと思いました。指動くのかな・・・。

内容(Amazonより)

朝日新聞を退職し、50歳を過ぎて始めたのは、ピアノ。人生後半戦、ずっとやりたくても、できなかったことをやってみる。他人の評価はどうでもいい。エゴを捨て、自分を信じ、「いま」を楽しむことの幸せを、ピアノは教えてくれた。老後を朗らかに生きていくエッセイ集。

著者について

稲垣 えみ子(イナガキ エミコ)
自由人
1965年、愛知県生まれ。一橋大学社会学部卒業。朝日新聞社入社。大阪本社社会部、「週刊朝日」編集部などを経て論説委員、編集委員をつとめ、アフロヘアの写真入り連載コラムや「報道ステーション」出演で注目を集めたが、2016年1月退社。その後の清貧生活を追った「情熱大陸」などのテレビ出演で一躍時の人となる。著書に『死に方が知りたくて』(PARCO出版、1995年)、『震災の朝から始まった』(朝日新聞社、1999年)、『アフロ記者が記者として書いてきたこと。退職したからこそ書けたこと。』(朝日新聞出版、2016年)、『魂の退社』(東洋経済新報社、2016年)がある。
–このテキストは、tankobon_hardcover版に関連付けられています。

レジリエンスが高まって、想定外の人生を楽しく送る

すべて上手くいく人生なんて、なかなかないですよね。

側から見たら、ピンとこないかも知れないけれど
「あの時、こうなりたかったな」とか
「もっとこうしていれば…」とか
私にも、いろいろな思いがあります。

でも
「もし、戻れるならどの時点から、やり直したい?」
と尋ねられても

上手くいかなかったこともあって、今がある…

と思えているので
このままでいい、と思います。

50年も生きていると、それなりに何度も大きな分岐点があって

その時には
メンタルがやられるくらい悩んだり、考えたりしました。

そして、公私ともに20代ではまったく想像もしてなかった世界に
今は、身を置いていて
「よく、ここまで繋がったなぁ」と
思い通りにいかないからこその、人生を感じています。

私はこれからも
さらに、見た目にも違う世界へ行きたいと思っているけれど

この先、思っているようにはいかなくて
今、想像もしていない世界に、足を踏み入れているかも知れない…
なんて考えると、ワクワクしてしまいます。

結局、いろいろあって
はじめに思ったところとは、違うところにたどり着いていて
私なりの「塞翁が馬」を、すごく感じているので
本当に、すごく好きな言葉です。

でも、はじめの落ち込みは一番しんどかったです。
経験がないので「塞翁が馬」とも思えなかったですし
沼の中にいるような感覚だったので。

でも、そんなことを何度か、経験をしてくると
逆境が来ても、エンドレスじゃないし
悪いことばかり続かない、と思えるようになってきました。

私のレジリエンスが高まって
物ごとを、受け入れられる余裕ができたのだと思っています。