子どもの頃に考えた正しい判断って…

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以前にも、さらっと書いたことがありますが
私の小学校では、卒業証書をもらった後に
保護者の方を向き、ひとこと抱負的なものを語る場面が
設定されていました。

子ども心に、なんでそんなことを言わないといけないのか…
と、無気力だった私は
とても面倒くさかった覚えがあります。
みんな、ノーベル賞をとります、とか
プロ野球選手、保母さん…などなど言っていましたが
私は、特になりたいものもなくて
すごく悩んだ結果

「正しい判断のできる人になりたいです」

と言うことにしました。
これは、今でも覚えています。

当時どういうことを考えたのかは、忘れましたが
たぶん、できないだろうことは言いたくなかったり
大して、強く思っていないことを言うのも
子ども心に、ためらわれたのだと思います。

おそらく、私の周りの大人は
正しい判断ができていないんじゃないかな、と。

きっと、そう感じられるような経験が多かったんだろうと
思います。もう、推測の域ですが。

その時言った「判断のできる人」というのは
今の仕事の世界で、あるような
想定外の場面での、急な判断といった要素よりも
道徳的な判断(考え方)
という意味が強かったような気がします。

大人は、表面ではきれいごとを言っているけれど
何か、理不尽に思うことがあったようにも
思い出されてきました。

そう思うと、ちょっと言葉の使い方
間違っているかも…。

状況の判断が、比較的優れている人は、回りの意見に耳を貸し、最終的には自分で判断しているように思います。状況判断が苦手な人は、自分の思いが強かったり、人の顔色を気にしたりすることが最優先となってしまって、何のための判断なのかがわからなくなってしまっているように見えます。だから、人の意見に対して、謙虚に耳を傾けることは大切だと思います。
私は、こだわりのある部分では、自分のフィルターで物ごとを見てしまうことがあって、人の意見を聞けない傾向があるので、すべてに知的謙虚さをもたないと…と思っています。
結局、判断をするには一定の判断材料が必要なので、一方向からの意見だけではなく、多彩な経験や、意見を聴くことが必要だな、とは思います。ただ、そこで情報が多くなった時に、自分では処理しきれなくなることがあるので、私の許容内での情報を活用して、自分で判断することがいいかな、と今は思っています。

juneberry-miyatomo.hatenablog.com

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