どう生きるのか は どう死ぬのか…

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投稿する時、テーマからいろいろ頭を巡らせて
思い出したことを「なるほど~」と思いながら書いているのですが
すでに、私が見聞きしたことや、経験していたことに
改めて、その意味づけされることを
ひとりで面白いな、と感じています。

私の祖父と父の話です。
祖父は、自分が働いている時には
ゴルフをやっていました。
毎日、夕方に帰宅すると
庭にゴルフの大きな的みたいなのがあって
(昔よく見かけました)
そこにボールを打つ。それが日課でした。

でも、定年退職して、ゴルフもやめてしまって
毎日家で、ゆっくりしていました。
たぶん、それまでは
会社で必要だったから、という理由で
ゴルフをしていたからだと思います。
私が小学生の頃ですから、もう、40年くらい前の話です。

1日に1回は、散歩に行っていたようですが
そのほかは、特にすることもなく
毎日を過ごしていると
ある日、散歩でつまづいて、ケガをしました。
そこから、祖父の足が不自由になるのは、とても早かったです。

でも、頭はしっかりとしていたので
バリアフリーでもない家で、ベッドでもなかった時代
子どもながらに、気の毒というか、かわいそうというか
そういう気持ちで、いっぱいでした。
1年も経たない間の話です。

逆に、それを見ていてたからか、どうかは分かりませんが
父は、スポーツこそしませんでしたが
よく動く人でした。
農作業、大好きでしたので、趣味で農作業をして
定年後も、畑で野菜ばかり作っていました。
健康や、食べ物へのこだわりもありました。

父は、癌で亡くなりましたが
末期癌でしたが伝えられた1年の余命を、不自由なく家で過ごし
最期の2週間ほどは、自分で選んでホスピスに入り
直前の2,3日前から、少し食べられなくなったということ以外は
ほとんど身体には支障なく、80歳で旅立ちました。
父にとっても、周りにとっても、とてもいい最期だったと思います。

私もこんな最期がいいなと思いました。

なんか重い話になってきましたが
「とう死んでいくか」と「どう生きるか」って
表裏一体だな、とつくづく思いました。
(どこかで聞いたようなことですが)

すでに、私が経験していたことへの意味づけを
またもらいました。

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