言葉の意味そのものへの許容力

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私は、父の本自体にはそれほど興味はありませんでしたが 

小学生のころ、風邪などで休んだ日には
家にある本を読んでいました。

実家は、プレゼントという風習がない家でしたので
いつの間にか、特に声をかけられることもなく
本棚に本が増えているという感じで
父親の趣味で、私たち兄弟用の本が買い足されていたように覚えています。
ただ、頭は良くないです。

当時、印象深いのは
「なぜなに国語1年生」「なぜなに算数2年生」、理科、社会、クイズ・・・といろいろあって
上の学年のモノも少しずつ加えられていくので
ちょっと上の学年のものを読みすすめていくことが
嬉しかったように覚えています。

小説はなかったのですが「星の王子さま」と「にんじん」があって
両方読みましたが
当時は、意味がまったくわかりませんでした。

父親が勝手にやっていたことの裏に、なにか思いがあるとしたら
父親エピソードをまた一つ、発見しました。

あと、仕事で相手にものごとを伝える時に
書いている言葉や言い回しが
何かしっくりといかないときには、類義語を調べます。 


類語辞典 https://thesaurus.weblio.jp

類語の中でしっくりくるモノがあれば、覚えておきますが
また忘れて、また調べたりしています。

私は、自分の中でのズレも気持ち悪いですが
相手と言葉の意味するモノが若干ズレているときにも
すごく気持ち悪さを感じます。

また、職場であるのですが、表の言葉は「○○さんのために…」で
裏の意味が「自分が楽だから…」というのも、気持ち悪くてダメです。
それなら「自分が楽だから」と言えばいいと思ってしまいます。

こういったことは、どっちでもいいと言う人もいるので
私は、言葉の意味するモノと、その状況がズレていることへの許容力がないな
と自分で感じています。

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