父のこと #7素晴らしくピュア

癌で闘病中の父親とコロナで会えないので 

父への手紙を書いたことをきっかけに 

私の中であふれてきた思い出を記録として書いている。

 

でも

4連休後に、実家に行ってから

「父のこと」を書くモチベーションが下がっていたので

しばらく遠のいてしまっていた。

 

父の様子は、抗癌剤の治療も現在は服薬に変わって

2週間に1度の通院になっていると言う。

手術をしていない分、体力の消耗もなく

見た目は元気そうだった。

先日は、庭木の剪定を毎日していると話していた。

久しぶりに描いてみる。

 

 

実家は普通のサラリーマンの一家だった。 

 

いいものを人にすすめる 

 

考え方によれば 

 

父は、少し先の時代を

行っていたのかも知れない

覚えているのは 

私の小さかった頃(昭和50年くらい)

ニンニクをすり潰して、丸めて干して

庭先に干してあった。

それが乾燥すると、瓶に入れて 

毎食後に飲んでいた。

手塚治虫のメルモちゃんの瓶のようなのに入れて

今で言うサプリメントのように。

 

何が入っていたのかはわからないが 

ニンニクをすっていただろうとは思うが 

すり潰しただけでは、玉にならないので 

本か何かを読んで 

何かは混ざっていたんだと思うが。

とにかく、いつも健康のために

自分のためにしていた。

ただのサラリーマンだから 

その思い入れは

相当、変わっていると思う。

 

父が亡くなるまでに、ニンニク玉の中身を尋ねてみよう

何がそうさせていたのかも聞いてみようと思った。

ホントに、あれば何をしてたんだろうか。

今のうちに聞いておかなければ。

 

 

その後、私の中学時代(昭和50年代後半)頃は

カルシウムを摂取することを

しきりに家族に勧めていた。

「ワダカルシュウム」と言うのがあって

私たち兄弟は、毎食後飲まされていた。

と言うよりも、飲むように用意されていた。

でも、そのころはまだサプリメントもなかったので 

私には、気持ち悪い感じがあったのと

ちょうど思春期も手伝って

父とは口をきいていなかった時期。

用意された「ワダカルシュウム」を

私は毎回、プラスチックのボトルに戻していた。

 

私が高校生くらい(昭和60年代)になると 

ヨーグルトを家で作り出し 

 

そのころは、まだヨーグルトメーカーもなかったので 

ネスカフェの茶色い瓶をわざわざ集めるために

好きでもないインスタントコーヒーを

飲むところからはじまって

その瓶が10本ほど揃ったら

つぎは、やっとヨーグルトづくり。

牛乳を温めて、温度計で温度を測り 

ネスカフェの瓶にヨーグルトと牛乳を分量だけ入れ

それを何本かつくり

プラスチックの衣装ケースに入れて

電気毛布でくるんで1、2日置いておく。

いつも酸っぱいヨーグルトができていた。

 

何年か経って

ヨーグルトが世間で流行り出し

ヨーグルトメーカーが売り出されると

父は、自分の姉たちや弟の家庭に「健康にいいから」と 

ヨーグルトメーカーを配り歩いた。

ヨーグルトメーカーを開発したわけでもなく 

まったく関係の無い業界の

ただのサラリーマンなのだが…。

 

自分の兄弟には健康でいてほしかったのだろう。

父が、人のことを思う気持ちは分かるが 

やはり一方的だと思う。

でも、タダでお渡ししているから

特に迷惑ではないハズ。

自分のいいと思うことを、心から人へすすめる。

そこには利害関係はない。

私だったら、40代後半ともなれば

「兄弟の家庭にも、好みや事情もあるし…」と

良いことを知っていても

偶然、話の流れからそうなることはあっても

わざわざ勧めることはしないだろう。

 

そういった点で父は、素晴らしく

ピュアだと思える。

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