父のこと #3黄身をつぶすな

思い出されるエピソードには、どんな意味があるんだろうか 

なぜ、それを思い出されたのかはわからないが 

なぜか、でてきた記憶。 

 

 

幼稚園か1,2年生の頃の話である。 

 

父と二人で、最寄り駅の立ち食いうどん屋へ行った時の話である。 

後にも先にも、一度きりであった。 

 

ホームの立ち食いうどん屋であるが 

駅の外からの入口もあり、 

駅のホーム内とはカウンターで仕切られているシステムだった。 

 

私は月見うどんを注文して、父はきつねうどんを注文した。 

私が黄身をまぜて食べていると「もったえない、一口で食べな。」と父は言った。 

その時は意味がわからなかった。 

 

父にすれば、卵がうどんのつゆに溶けてしまって

卵1個分のエキスぜんぶを回収できないではないか、ということだったらしい。 

 

今でも、目玉焼きや温泉卵にしても

卵の黄身をつぶすのには抵抗がある。更に残った黄味を見ると「もったえない」と思ってしまう。 

 

「黄身をつぶすな」 

 

父の教えであった。 

 

父は大人しく、社交的でもなく、合理的と言う言葉が好きで 

「ドイツでは・・・」 

といつも言っていた印象がある。 

 

黄身を合理的に食べるという事だったのだろうか。 

 

 

 

 

風邪で布団に入っていた時に 

父から珍しく「何か食べたいものは?」と聞かれ 

私は「ぶどう」と答えた。 

 

我が家では、人の気持ちを推し量って 

贈り物をするという、日常的な習慣がなかったため 

非常に珍しいことだった。

 

その日の夕方、布団で寝ていると 

仕事帰りの父が小さな缶詰を手渡した。 

小さなぶどうの缶詰だった。 

 

どうも葡萄の季節ではなかったようで 

いろいろ探したのだろうが 

どこにもなかったようだった。 

 

旬でなくても、何でも手に入る今とは違って 

45年ほど前には、手に入らず 

 

考えた末、葡萄の缶詰だったようだ。 

 

父が買ってきてくれた缶詰に、気乗りはしなかったし 

小さな缶詰に、皮が剥かれたデラウエアがドロッと入っていて 

見た目にも気持ち悪かったが 

子ども心に悪いなと思って、布団の上で一人で食べた。 

 

 

 

父は、人とのコミュニケーションを取ることが難しい人だと思う。 

小さい頃から、薄々は気づいていたが 

 

私が社会人になって知った知識から 

アスペルガー症候群に近い特性を

持っていると感じていた。 

 

でも、その行動は純粋で、腹黒さがないことは 

今では、よく分かっている。 

 

それでも、自分が子どもとして父を見ていた時には 

理解できずに

「なんでそんなことをするのだろうか」と感じることがとても多かった。 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です