ハッタリの流儀 堀江貴文

私は、Kindle本を毎日耳読しています。その簡単な感想のご紹介です。

ハッタリの流儀 堀江貴文

Kindle本 読み終えるまでの平均的な時間(3時間4分)

簡単な感想

ハッタリをかましたことで、必死につじつまを合わせる。できると言い切る覚悟。それが重なると信頼へと変わっていく。 親の考え方をかたっぱしから捨てていき、宇宙人になったように考える。堀江貴文さんの信念をもった生き方からのメッセージ。

テレビで拝見する堀江さんの内面にはこういった考え方があったのかと思った。

「できる」と言い切る覚悟、それを重ねながら信頼を作っていく。

いろいろな騒動だけが、報道されるが、その裏で、自分の信念をしっかりと持って、それに正直に生きて来られたのだなと、重く受け止められられた。

どこか過激な、ミーハーな人のようなイメージも少しあったが、(当たり前だけれど)シッカリと自分を見失わなかったから、今があると感じた。

外部ショックを受けて変化することとハレーション

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「構造が変わる」という一点においては
この急に現れたコロナは

素晴らしい働きをしてくれたと思います。

オンラインになるまでは
そこまでの行き来の時間や交通費などは

当たり前という感覚で捉えられていましたが

オンラインが、メジャーになってきた今では
その時間と費用とがもったいなく感じます。

今も、ある研修会を受講しているのですが
本来なら、その申し込みもすぐに埋まってしまうもので
受講会場も各地にあるわけではなく
日程や場所が合ったところを探して、泊まりなら宿も…と

申し込むまでにいろいろ調べたりしなければいけなかったようです。

でも、今年は全てオンライン(動画視聴)ということで、制限人数もなく
自宅で空いた時間で受講すれば良いので、平日にも少しずつ見ています。

土日ごとに凝縮されないので、とても楽な気がします。
(ただ、演習的なことには課題が残っていますが)

技術的には、コロナの前にもできたことかも知れないですが
なにかのきっかけ、外部からのショックがなければ
これは進まなかったことだと、私も思いますね。

そう考えると

生活の中にはもっともっと構造変化できることって
潜在的にはあるんだろうな、と感じています。

現在の職に就いて

初めて「ハレーション」という言葉を耳にしました。
ハレーションなんて言葉

私は日常生活では聞いたことがありませんでしたが
そもそも上の人たちは、ハレーションを恐れているようですので
構造の変化を望んでいない、と思うことが多いです。

人の運は「少食」にあり「プチ断食」がカラダとココロに効く理由 を読んで

Kindle本 (読み終えるまでの平均的な時間 2時間56分 168ページ)

題名に惹かれて選びました。

「少食」っていう言葉、腹八分みたいな感じかなと。

簡単な感想

少食が良いと言うことからプチ断食まで、それが良い理由やその方法等が説明されている。またそれを人に押し付けてはいけない、というところが入りやすく感じられる。1番響いたのは、究極には心の卑しさを戒めているところである。節制するにしても心がしっかりとしていなければならないからであった。断食についてもいくつか説明があり興味を持った。

著者が臨済宗大徳寺で修行したこともあり、宗教的な視点も多いが、現在、大学教授とのことで、幅広い知見から説明されている。

個人的には、プチ断食には興味があり、偶然にも詳しい説明があり一度やってみたいと感じた。ただ、断食に興味のない方には、勧誘の本のように感じられる部分もあるかも知れない。

だいたいの健康食系統の本と同様、昔の食事が良いといった内容が多いが、生の野菜を食べるということへの着目度が強いように感じられた。

私も玄米や発酵食品を食しているが、「生の野菜」には、それほど重きを置いていなかったので、これから取り入れてみようと思った。

構造がほとんどを決めている

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職種にも違いがあるとは思いますが 

私が転勤して感じることは 

異動の少ない職場では 

新しいことが、なかなか積極的に入ってこないので 

とても閉鎖的で、古い体質が残っていると感じます。 

それに対して、人の出入り(人事異動)が多い職場は 

よくシャッフルされていて 

いろんな職場のいいとこ取りをしつつ 

その職場の個性を出しながら、進化していってることが多いな、と思うと 

昔の島国の日本や、大陸の国々と同じだなと感じました。 

「元々の集団無意識のような大きな力で構造は出来上がっていますので、その行動に介入するためには相当戦略的に考えていかないと…」 

それが首相であっても、 

組織のトップが変化しただけでは 

急に変わってはいかない、ということは職場でも実感できます。 

研修などで聞いた言葉ですが 

職場での暗黙のルール、掟?のようなモノを表す時に 

「風土」という言葉を使うことがあります。 

いい意味では、あまり使われないですが 

「元々の集団無意識のような大きな力」に対しては 

トップダウンのようなポジショナルパワーでは、反発されるだけで 

戦略的に構造を変えていくことが、本当に必要なんだなと 

改めて感じました。 

あと、そう言えばコロナが流行ってから私も、家族も

全然風邪ひいてないと思いましたので 

コロナ後の行動様式

構造って大切だなとつくづく感じました。 

気軽に読めるビジネス & 自己啓発の本の紹介

私が読んだ本を簡単にご紹介します。

物語風なので、読みやすい本でした。

ある空港での退屈な待ち時間に、老人と出会いそこで仕事との向き合い方や考え方を学ぶ物語。若者との会話の中でビジネスに必要な内容を中心にどういった生き方を選ぶべきかを考えさせられる本。

仕事は楽しいかね? (きこ書房)

仕事は楽しいかね? (きこ書房)

 

心に残った言葉は

「試してみることに失敗はない」

その通りだと思うと同時に、それがいつもできているかと言うとそうではないですね。

実験好きな人のように、何でもどんどんと試していったら

イデアが集まってくると言う。

気軽にいろいろやってみようと思いました。

参考

仕事は楽しいかね?2

仕事は楽しいかね?2

 

構造を知ることから付加価値に気づく

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構造というと、少し堅苦しく考えていましたが 

仮説を立てて、自分で仕組みを考えること

システムをつくってみること 

それが日常生活の些細なことであっても、構造なのだと分かりました。 

日産ハイブリッドのスカイラインには、「カーマインレッド」という色がありますが、この色は車両価格に14万円もの上乗せが必要になります。なぜかと言うと、このカーマインレッドは、 ベースコートの赤い塗料の上にさらにその上にかけるクリアコートにも、ナノ顔料で赤を入れて、太陽光だけではなく水銀光や他の光でも光るようにしてあるそうです。

この「カーマインレッド」のお話からは 

構造を知ること付加価をきっかけに、付加価値を感じるという感覚が 

なんとなく分かりました。

私はゲームをあまりする方ではありませんでしたが 

今回オキュラスクエスト2を購入しました。

どちらかというと 

VRの世界を見てみたかったという気持ちが強かったことが一番でした。 

それで運動代わりにでもなれば…など考えました。

これも構造?から付加価値を感じたという感覚でしょうか。

ビートセーバーもたまにしますが 

何より、やっぱりVRの世界を知るということ自体が、まだまだ面白い。

初心者です。まだその段階です。

私は平日はする時間がないので 

空いている時間で、息子や夫が覗いている感じです。

大学生の息子が 

YouTubeも360°でみれる!」 

と驚いていて装着してみると、自分が飛行機に乗った体感や 

サーフィンをしている感覚。

あと、面白かったのはCGの動画で、リビングのイスにすわっているだけで 

テーマパークのアトラクションの乗り物に乗ったような感覚を感じられる。

テーマパークのアトラクションはよく考えてみれば 

前のスクリーンに映った映像と、イスのガタガタする動きや傾きから 

その世界を体感することを考えると

イスに座って、360°その世界にいて 

早さを変えたり、曲がったりしながら 

どんどん進んでいく感覚が面白いのは当たり前か、と思いました。

私つたない文章で表現するのには、限りがあります…。 

分かりにくくてすいません。

とにかく、何を伝えたいかというと 

コミュニティからの情報等から 

これからの世の中で、VRが柱となると思っているから 

そういう構造を、どこかでイメージしているから 

ゲームをするということよりも 

今の段階では、とにかくそれに触れているだけでも知ることも多くて 

構造を理解することからくる付加価値にも 

納得できると感じました。

いろいろ書きましたが

私にとって、結局知らない世界はとても面白いです。 

父のこと #10好きなことをさせなアカン

 子どもが産まれてから、父と話をすることが増えた。 

いつも父は、孫のことを思い

「子どもには好きなことをさせなアカン」

と言う。

私は、3歳からバレエ、4歳からピアノを習い 
「習い事は10年続けないといけない」

という母の教えを守り
辛い気持ちを我慢して、やってきた。

 
小学校に入ると、合唱隊に入り
吹奏楽部に入ると、そこからフルートも習い…とまだまだ続いていく。

いつも習い事に忙しく、家ではお茶とお華を習い、
絵に描いたような教養を積み上げてきた。

私が5年生の時に「塾に行きたい」といったが
「小学校では必要ない」と却下された。

3つ下の弟は、翌年の3年生から塾へ行きはじめ
私には、なんとも納得のいかない感じが残った。

「バレエは続けても大学にはいかれへん」

と母に言われ、中1でやめることができた。 


でも、音楽系の習い事は、やめさせてもらえず 
後で思えば高校生の時には、円形脱毛症にもなっていたが
それらすべてが母の一存だったのかと

はじめて聴いたときには耳を疑った。


夫婦の中での情報共有はなかったのか。
と言うか、マイペースな父は子どもへの関わりがなかった
ということもあったのだろう。

 

父の
「子どもには好きなことをさせなアカン」

という言葉を出産後に初めて聴き
「なんという理解のある父親だったのか?」

と驚いた。

そんな風に考えているなんて

子どもの頃には、思ってもみなかったから。
どうせ、馬鹿にされているんだろうと思い込んでいた。

「好きなことでなかったら続かんやろ」って

その通り。

なんで、今までそんな父の思いを知らずに暮らしてきたのか
「ま、仕方ないけど」と思った。

すべてを含めて、仕方ないことだと思った。

父のこと #9議論を戦わせる

いつも、父に言い負かされてしまう私は

いつか「ギャフン」と言わしてやろうという思いから
今でいう「どう論破するのか」ということを
小学生の頃から考えていた。

父も変わっていたが、私も相当変わっていた。

私は、家の外では大人しい子だったので
自分の意見はまったく言わなかった

と言うより
小学生の頃は、自分に自信がまったくなくて
自分の意見は言えなかった。
間違っていたら怖いし、嫌だから…

なぜ、家ではあんなに自分の意見を言えたのか?
父と議論する、言い合いをする。

言っても大丈夫という環境があって
今考えると、ある意味
祖父母との同居もあり、父と母との関係があまり良くなかった

というところから
逆に、そういった環境を与えてもらえていたことになる。

普段、大人しい私が、家の外で
意見を言わなければならない場というのは
だいたい、よっぽどの場合であって

私にスイッチが入れば
そこで、相手の逃げ道のない、辛辣な意見を言ってしまう。
周りは、そのギャップに唖然とする。

父との議論の内容は
ニュースへの意見の違いや、日常生活での価値観の違いに対するもので
大して大きな内容でもなく
その議論によって、生活の何かが変わるようなこともないものばかり。

それでも小さな私は、いつも真剣に戦っていて
大人のその知識量や言い回しなどで
だいたい、父に言い負かされてしまっていた。

だから、そのたびに悔しくて
泣きながら自分の部屋に戻り、反省会を一人でしていた。


「あの時、こう言えば流れが変わっていたんじゃないか」
「話の順番を間違えたんじゃないか」 


そんなことを考えていた小学生3,4年時代って

ホント、なかなか変わっている。

そんな話は、クラスメイトにもできるはずもなく
父をギャフンと言わせる「魔法のことば」を
ひとりで考えていた。

そんな面白くもない小学生時代を過ごし

 

そして現在。

争いごとは好きではないので
いろいろな場面で相手との意見が異なった場合には
対立することは最後まで避けて
同じ方向を向いていけるように努力するが…

それでも無理な場合や
どうしても戦闘モードで話さなければならない時には

自分の着地点が見えると
自然とスイッチが入り
それに向かって議論を優位にすすめることが
できるようになっている。

勝てる戦いしかしない。

自分でも驚いているが
小さい頃、あれほど大人しかった私が
仕事の場面では

仕事としてしっかりと意見を戦わせることができるって
これは、まさに

あの頃の実践や、反省会の賜だと思っている。

 

いろいろな人とお話をしていると

話をすり替えたり、曲げたり
はぐらかしたりと

いろいろ小手先を使ってくる人もいるが
父には、そういったことはなかった。

 
筋が通っているかどうか、という一点が大きかった。

今、思い起こせば
父と議論しているときには対等で
大人の力を使って、子どもをねじ伏せる
ということはなかった。
(少しはあったかも知れない。だから私は怒っていたのかも…記憶は美化される)

父は躾といって、よく叩いた
「子どもは叩かなわからん」とも言っていた。
何をしたのかは覚えてないけれど、一応悪いことをした時だったと思う。

だけど、議論は議論として

分けて考えてくれていたところが
今となっては、ありがたかったと思う。


議論の途中に叩かれる事なんてなかったし

だから、思う存分議論できた。

今の力にはなってはいる。

しかし
その時には仲の悪い親子だったので
それが本当に良かったとも言い切れない。